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桐原 葆見(きりはら しげみ、1892年11月10日 - 1968年5月2日)は日本の心理学者、僧侶、第十四代浄楽寺住職。 広島県出身。1892年11月10日、佐東町八木の浄土真宗本願寺派浄楽寺住職桐原慈見の長男として誕生する。八木尋常小学校(現広島市立八木小学校)、高宮高等小学校、第四仏教中学(現崇徳高等学校)、旧制第三高等学校を経て1919年に東京帝国大学を卒業した。東京帝国大学では日本心理学会の草分けである松本亦太郎に師事して心理学を専攻した。卒業の年に実父が他界し、浄楽寺第14世住職を継ぐが引き続き大学院へ進学する。大学院在院中より倉敷労働科学研究所(現・財団法人労働科学研究所)の設立に貢献した。1931年に文学博士となり、1933年よりドイツに留学する。帰国後は科学研究所所長。その他、理事及び諸学会の役員を歴任し内外に輝く業績を残した。1961年日本女子大学教授となる。 1946年に正五位、1956年には紫綬褒章、1965年には勲三等瑞宝章を贈られた。1968年5月2日、79歳で病没する〔広島市編『佐東町史』,広島市,1980年〕。 1931年、東京帝国大学 文学博士。論文の題は「作業ニ関スル心理学的研究、特ニ工場作業ニ就テ」〔博士論文書誌データベースによる〕。 日本心理学会名誉会員・International Association of Applied Psychology 名誉会員・日本児童学会名誉会員。 == 業績 == *月経と作業能力の関連を研究し桐原ダウニー式性格検査法を開発するなど、産業心理学の分野の開拓につくした。 *実践的かつ科学的な研究姿勢を貫き、テーラーの科学的管理法に対しては批判的立場をとり、労働者の生活を重視する労働科学を築きあげた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桐原葆見」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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