翻訳と辞書
Words near each other
・ 桐生一馬
・ 桐生一高
・ 桐生中継局
・ 桐生作善
・ 桐生信用金庫
・ 桐生倶楽部
・ 桐生八木節まつり
・ 桐生八木節祭り
・ 桐生六郎
・ 桐生典子
桐生助綱
・ 桐生区検察庁
・ 桐生千弘
・ 桐生卓也
・ 桐生南高等学校
・ 桐生厚生総合病院
・ 桐生園加
・ 桐生城
・ 桐生外語学院
・ 桐生大学


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

桐生助綱 : ミニ英和和英辞書
桐生助綱[きりゅう すけつな]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きり]
 【名詞】 1. paulownia tree 
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
: [すけ]
 (n) assistance

桐生助綱 : ウィキペディア日本語版
桐生助綱[きりゅう すけつな]
桐生 助綱(きりゅう すけつな、永正9年(1512年) - 永禄13年(1570年))は、上野国戦国大名桐生真綱の子。柄杓山城の領主。祐綱、直綱とも呼ばれる。養子は桐生親綱(同族の佐野昌綱の子)。
== 生涯 ==
永正9年(1512年)、上野国東部の桐生地方を治めた戦国大名・桐生真綱の子として誕生。桐生氏藤原北家秀郷流足利氏族にあたる。
助綱は桐生氏歴代当主の中でも傑出した人物であったといわれ、天文元年(1531年)には仁田山赤萩地方を回復、さらに無位無官の浪人であった有能な里見勝弘新田氏一族、実堯の末裔とする)を仁田山赤萩城の主として取り立てた。天文13年(1544年)には細川内膳と膳因幡守を打ち破り勢力を拡大。ここに桐生氏は最盛期を迎えることになる。
永禄3年(1560年)に越後国の長尾景虎(後の上杉謙信)が関東管領上杉憲政を擁して関東に侵攻するとこれに従い、近衛前嗣・上杉憲政の警固にあたり、のちに京都に帰った前嗣から丁重な謝辞を贈られている。しかし、永禄9年(1566年)頃に近隣の新田金山城主・由良成繁の勧めもあって、小田原の北条氏康の傀儡である古河公方足利義氏方に転じた。
永禄13年(1570年)5月に死去。享年59。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桐生助綱」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.