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桐生競艇場(きりゅうきょうていじょう)は、群馬県みどり市にある競艇場である。 通称は、BOAT RACE桐生(ボートレースきりゅう)。 == 歴史 == 1956年(昭和31年)11月8日に初開催された。全国の競艇場24場では最も遅い開場である。施設の管理は関東開発株式会社、競艇の主催はみどり市。 2003年度までは桐生市も主催していたが、赤字脱却のため借り上げ賃貸料の引き下げを巡り関東開発と対立し撤退。桐生市はメイン施行者であったため、一時は2003年度限りでの閉鎖も検討されていたが、サブ施行者だった阿左美水園競艇組合(当時)が桐生市主催分の全日程を引き継ぎ、存続が決まった。 上記の対立から、桐生競艇の存続の是非について桐生市と新田郡笠懸町(現:みどり市)が反目し、桐生広域圏の足並みが揃わず、太田市と合併した藪塚本町を除いては、桐生市との合併か笠懸町との合併で周囲の町村の合併協議会から提示された条件である競艇事業を引き継ぐか否かで、桐生市主導の合併協議会から提示された条件である「競艇事業を引き継がない」ことに同意した町村と、対する「競艇事業を引き継がない」ことに反発した笠懸町主導の合併協議会に参加した町村での分裂となり、飛び地合併に至った原因にもなっている。 1997年9月20日から「アクアンナイト」と称したナイター競走を実施。初めてナイター競走を開催した競艇場である。2011年度より冬季を含めた通年ナイター開催に移行する予定だったが、東日本大震災で施設が被災したため、3月中旬から4月にかけての開催が中止された。2011年度の開幕となる5月3日(東日本大震災被災地支援競走 第38回上毛新聞社杯・初日)より通称を「ドラキリュウナイター」へ変更し、冬季を含めた通年ナイター開催に移行した。なお、かつては4月から10月下旬の期間においてナイター競走を開催しており、2008年9月には住之江競艇場で行われた同様のナイターレースの場外発売を行う関係で一部薄暮開催を行った。なお照明設備は2014年4月の更新に際して、競艇だけでなくすべての公営競技で初となる全面LED照明に切り替えている〔【ボート】業界初!桐生が照明をLED化 - デイリースポーツ online、2014年4月4日〕 2004年7月に大型映像装置を設置、2005年4月から新スタンド「南ウイング」が完成し、新スタンド内には、競艇界では初めての在席投票席(PISルーム)や畳敷きのグループ席が設けられている(既存のスタンドは「新館」から「北ウイング」に名称を変更し1階のみ一般に開放している)。南ウイング完成と同時に来場者を「ファン」から「ゲスト」に、従業員を「キャスト」と呼んでいる。また、全国の競艇場では唯一、周回展示において通常の展示タイムのほか、直線タイム・回り足タイム・半周ラップタイムを測定し公表している。 競艇全体の売上が減少していることもあり、なお閉鎖論もくすぶっているが、2005年7月はSGオーシャンカップが、2006年は30年ぶりにモーターボート記念が開催されたほか、2007年度は2度目のオーシャンカップが開催され、新スタンド完成後は3年連続でナイターによるSG競走が開催された。2014年度の売り上げは全国5位・関東1位の678億円となった。 2011年5月のドラキリュウナイター開催に合わせて、大阪府のボートピア梅田でも桐生の開催全レースの投票券を発売するようになった。これにより西日本でも桐生開催の投票券が購入可能となっている。また2013年6月10日より石川県津幡町のミニボートピア津幡が北陸地方初の場外舟券発売場として、同じく開催全レースの投票券を発売する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桐生競艇場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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