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桑原翠邦(くわはら すいほう、1906年9月20日‐1995年3月27日)は、北海道帯広市出身の書家である。本名 清美。翠邦は号で魚目とも号した。 ==経歴== 1906年、北海道河西郡帯広町(現在の帯広市)に生まれた。1921年、札幌鉄道教習所に入学し、大塚鶴洞に師事したことで、書を意識するようになった。また、後に同じく書家となる金子鷗亭、三宅半有とも鉄道教習所時代に出会っている。1924年に鉄道教習所を卒業し、職に就くが、川谷尚亭、比田井天来が相次いで北海道に来遊、彼らから上京を勧められたことで、金子とともに1932年に上京、以降比田井天来に師事した。翌年、上田桑鳩が中心となって結成された書道芸術社に参加した。 戦後は書壇と一定の距離を置いた一方で、師天来と同じように桑原も全国各地を遊歴して書を頒布し、天来の書法を広めることに努めた(ここから、旅の書家とも言われた)。現在でも桑原の書が各地に数多く残されているという。 1972年、東宮御所書道御進講となった。 1995年3月27日に死去した。なお、1995年に桑原のインタビュー、揮毫の様子を撮影した映像が残されているが、桑原は映像中で「平成七年(1995年)三月十九日」と書いており、最晩年まで矍鑠としていたことが分かる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桑原翠邦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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