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桑山 一直(くわやま かずなお)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将、大名。大和新庄藩の第2代藩主。大和新庄藩桑山家3代。 == 生涯 == 天正6年(1578年)、桑山一重の次男として生まれた。徳川氏に仕えた。関ヶ原の戦いでは、本多忠勝の配下で大谷吉継の陣に切り込んでその鉄砲隊組頭を首と取った功で感状を受けた。 慶長9年(1604年)、兄の初代藩主一晴が子を残さずして死去したため、養子として跡を継いだ。 慶長19年(1614年)からの大坂の陣に参戦し、道明寺・誉田合戦で、豊臣方の後藤基次や薄田兼相らの軍勢と戦って首級17をとる功績を挙げ、落城の際にはさらに首級19を挙げた。 このため戦後に徳川家康から松倉重政らと共に加増移封を約束されたが、元和2年(1616年)12月12日に旗本の別所孫次郎と会談中に孫次郎と伊東治明の喧嘩を仲裁して負傷したことから(このとき、治明は殺害された)、その責任を取らされる形で閉門処分となり、加増の約束も破棄された。なお、一直は所領1万6000石のうち3000石を一族の貞利に分与している。 寛永13年(1636年)8月22日に死去した。享年59。跡を長男の一玄が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桑山一直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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