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桓 温(かん おん、312年 - 373年)は、中国の東晋の政治家・軍人。字は元子。譙国龍亢(現在の安徽省懐遠県。譙は「言」に「焦」)の人。軍事的成功により東晋を牛耳り、禅譲を目論んだが周囲の反対に逢い失敗した。父は桓彝(かんい)、弟に桓雲、桓豁、桓祕、桓沖。子に桓熙、桓濟、桓歆、桓禕、桓偉、桓玄ら。 == 生涯 == === 生い立ち === 豪爽な性格で立派な容貌を備えていたという。父の桓彝は明帝の下で王敦の乱鎮圧に功績を挙げたが、蘇峻の乱で戦死した。父の殺害者は江播という人物であったが、桓温はこれを突き止め、3年後に江播が死去したときに、弔問だと偽って江家に乗り込み、その息子3人を殺して父の仇を討った。この仇討ちは当時の人々から称賛されたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桓温」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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