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桜 玉吉(さくら たまきち、本名:野澤 朗、1961年3月2日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都出身。東京都立芸術高等学校卒業、多摩美術大学中退。有限会社「玉屋」社長。身長181センチメートル、血液型A型。実姉はイラストレーターの真野匡。 エンターブレイン(旧、アスキー出版)の雑誌を中心に、漫画日記やコンピュータゲームを題材とするギャグ漫画を発表している。代表作に『しあわせのかたち』、『漫玉日記』シリーズなど。イラストやゲームのキャラクターデザインも手がける。 == 経歴と作風 == 『MSXマガジン』『スコラ』『平凡パンチ』のカットなどの仕事を経て、1986年よりアスキー発行の『ファミコン通信』(現・ファミ通)創刊号から連載された『し・あ・わ・せのかたち』(のちに『しあわせのかたち』に統一)で漫画家デビュー。ファミコンゲームを題材にしたパロディギャグ漫画で人気を博し、8年間の長期に渡り連載され、OVA化・ドラマCD化もされている。アスキーに漫画部門(現在のエンターブレイン)が設立されたのは、『しあわせのかたち』の人気が切っ掛けと言われている。 しかし、作者の突然の体調不良で『しあわせのかたち』の連載が数ヶ月中断される。『ファミコン通信』が隔週刊から週刊に移行するのに伴い、『しあわせのかたち』の連載が(減ページで)再開されるが、それまでのキャラクター「例の3人組」を放棄し、いきなりエッセイ形式の漫画日記へ移行した。漫画日記には、竹熊健太郎、藤原カムイ、相原コージ、奥村勝彦、押井守、呉智英など、業界関係者も多数登場する。 作風のみならず画風までもが回ごとに著しく変わり、本編とまったく関係ない『ラブラブROUTE21』という暗黒舞踏漫画を掲載。ファミコンと全く関係ない内容にもかかわらず、アンケートで上位となった。2014年には劇団Patchの末満健一によって映画化されている。 絵柄は『しあわせのかたち』に代表されるアニメ風のデフォルメ形、『幽玄漫玉日記』に代表される筆を使った水墨画形、緻密に書き込まれた写実形があり、巧みに使い分けられる。 桜玉吉のターニングポイントとなった『しあわせのかたち』における中編作品のひとつの『しあわせのそねみ』は、それまでの作風と大きく異なり、写実風の絵柄で暗くひねくれた作風の漫画を数回にわたり展開した。余りに毒々しい内容であったため、誌上で『この作風が嫌なら、「嫌」と書いたハガキを送ってほしい。「嫌」ハガキが50通来たら考え直す』と告知したら「嫌」ハガキが153通も来たため、後編をポップな作風で描く羽目になってしまった。 『しあわせのそねみ』の作風は一回のみの予定ではあったが、後のエッセイ漫画の作風の実質的なプロトタイプとなる。 ここで確立された日記形式の作風は、その後の作品にも受け継がれている。しかし、日記形式の作風は本質的に自分や他人の私生活をダシにするというものであるため、「周囲の人間をいじくり倒し本当にロクな者ではない。こんな事でしかメシを食えぬ人間」と葛藤する様子も時折見せる。 『しあわせのかたち』連載終了後、アスキーが発行していた漫画雑誌『ファミコミ』にて、『トル玉の大冒険』を連載。『しあわせのかたち』後期と同形式の日常を描いた漫画日記へと移行する。 1995年に『ファミコミ』と『月刊アスキーコミック』が休刊となり、両誌を引き継ぐ形で創刊された『月刊コミックビーム』に移籍する。それを機に『トル玉の大冒険』から『防衛漫玉日記』にタイトルが変更された。桜玉吉が結成した地球防衛隊(釣りサークル)での活動を中心に描いていたが、私的事情の混乱もあってか次第に無気力になり、防衛隊を解散させて連載を突然終わらせる。 私生活では、『しあわせのかたち』の連載中の1989年にコピーライターの女性と結婚。娘をもうけるも、すれ違いなどが原因で離婚。しかし、その後も絶縁したわけではなく、子供の親として頻繁にコミュニケーションはとっていた模様。 『防衛漫玉日記』の連載終了後、虚脱状態に陥り、病院で軽いうつ病と診断される。漫画家という孤独な仕事にその原因があると考えた玉吉はペンを擱くことを決心する。しかし担当編集者の「何でも独力でやろうとし過ぎる。もっと組織的な活動をすべきである」とのまじめな説得に思いとどまり、漫画家活動のための有限会社設立を決め、有限会社「玉屋」を設立した。 『防衛漫玉日記』から1年の休筆を経て『幽玄漫玉日記』を『月刊コミックビーム』1998年1月号から連載する。『防衛漫玉日記』とほぼ同じ漫画日記の形式をとる内容だが、この頃より鬱の症状及びそれに伴う前衛的な表現が出始め、通常のエッセイ漫画形式の内容から、個人の独白のような内容が出始める。画風もデフォルメタッチの表現から、水彩画まで幅広くあり、終盤は後の『御緩漫玉日記』に繋がる現実と虚構が交錯する独特の内容となっており、自己の内面を私小説風に掘り下げつつそれ自体を自己模倣の対象としてユーモラスに描いた。 『月刊コミックビーム』2003年11月号から『御緩漫玉日記』連載。念願叶って手に入れた伊豆の一軒家での生活を描く。また、多摩川の近くに新しく仕事場を借りた頃の回想的な物語も不定期に描かれるが、連載中に急性腹膜炎になり死線を彷徨う。連載再開後は、前々作、前作において見られた、鬱症状を描いた内容および現実と虚構が交錯するメタ表現が顕著に出ており、それに合わせて画風も濃い水墨画を用いた大胆な作風になる事が多い。鬱の影響もあって、作画作業が困難になることが多かったらしく、独白のみを描き殴ったような実験的作風も見られ、今まで以上に幻想的な展開となっていく。 「自分の知らない間に勝手に別人格が制作中の漫画を書き換える」など解離性同一性障害を思わせる症状が出始め、体力的・精神的な限界を感じ『御緩漫玉日記』の連載を終了(未完)。その後、コミックビームの宣伝4コマや僅かなイラスト仕事のみで大きな作品連載は行っておらずヤフーオークションに出品を行って金銭を得ているエピソードが作中で明かされた。 2012年4月、約5年ぶりとなる新作をコミックビームに発表。近況と震災時のエピソードを描いた短編作品となっており、その後も不定期ながら漫画日記を連載。ネットカフェを仕事場代わりにしている近況が明らかにされた。 2013年9月、週刊文春にて漫画日記『日々我人間』("ひび割れ人間"と読める)を連載開始した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桜玉吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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