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桜町牢(さくらまちろう)は、江戸時代に長崎の桜町に造られた牢獄。 慶長5年(1600年)、馬町などにあった牢屋敷が桜町に移され、慶長19年(1614年)にサン・フランシスコ教会と修道院が取り壊され、その跡地に牢獄が設置された。当初は未決囚と既決囚を収容していたが、寛延元年(1748年)以降、浦上村山里山王社の近くに溜牢が出来てから、主として既決囚だけを収容した。 牢守は1人、牢番は10人。総坪数は、『長崎諸役所絵図』では744坪、『桜町牢屋絵図』では714坪となっている。構内は2区に分かれ、獄舎は3棟。各棟は3室で方3間の監房2室の間に番所が置かれた。正門の北西隅に拷問所、中門の右手に供部屋と吟味所、その後手に牢守宿舎や牢番長屋があった。一般庶民を入れる牢屋と、士分の者や神官、僧侶あるいは漂流者などを入れる揚屋があった。この牢には多数のキリシタンが投獄され拷問を受けた。 牢屋敷が出火した時は、入牢中の者は期限を切って仮釈放され、指示された通りの日時までに戻って来た者は、判決の際、罪一等を減じられた。 死罪以上の極刑に処せられる者は、処刑前に引き回しにされたが、その引き回しの出発点も桜町の牢屋敷からで、長崎の町中を回った後、西坂にある処刑場まで続けられた。 明治維新後は、桜町監獄と改称された。西坂の処刑場に代わって、ここの拷問所で処刑が行なわれた。 == 参考文献 == *『犯科帳 長崎奉行の記録』 森永種夫著 岩波新書 ISBN 4-00-413108-1 *『長崎県大百科事典』 長崎新聞社 *『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』 平凡社 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桜町牢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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