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桝本清 : ミニ英和和英辞書
桝本清[ますもと きよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ます]
 【名詞】 1. (1) measure 2. unit of volume ( 1. 8l) 3. (2) square container, e.g., a box 4. (3) square on a grid 5. cell of a grid
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

桝本清 : ウィキペディア日本語版
桝本清[ますもと きよし]

桝本 清(ますもと きよし、1883年 - 1932年8月22日 / 8月19日〔『CD 人物レファレンス事典 日本編』、日外アソシエーツ、2004年、「桝本清」の項。〕〔『CD 人物レファレンス事典 日本編』の没年月日は両説併記である。〕)は、日本の演出家劇作家映画監督脚本家である〔。
== 人物・来歴 ==
1883年(明治16年)に生まれる〔。
当初は新劇の演出、戯曲を執筆し、新劇運動の指導者的役割を果たしていた〔。1908年(明治41年)、東京府荏原郡目黒村大字下目黒の行人坂(現在の目黒区下目黒)にグラスステージを建てた吉沢商店が、翌1909年(明治42年)、社内に考案部(のちにいう文芸部、現在の企画部)を設置、小説家の佐藤紅緑を部長に迎え、小口忠大熊暗潮中川慶二らが映画の脚本を書き始め、桝本も同部に入社した〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎中央公論社、1968年、p.140-142。〕。当時の代表作に藤沢浅二郎福島清らが出演した『松の緑』がある〔。脚本は考案部の名義で執筆されており、桝本の名はクレジットされていない。
1912年(明治45年)、吉沢商店は他の3社と合併して日活を設立、考案部からは監督・脚本係として小口、桝本、鬼頭磊三新海文次郎、撮影部からは千葉吉蔵村上満麿小西亮、俳優部からは関根達発森三之助五味国太郎立花貞二郎横山運平といった人的リソースが日活に引き継がれることとなった〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、p.202.〕。1913年(大正2年)に日活が日活向島撮影所を建設・開所、目黒の撮影所は閉鎖となり、桝本らは異動となった。「日活新派」と呼ばれた現代劇の脚本を量産する。
1914年(大正3年)には、佐藤紅緑原作の『谷底』を監督した。同年、レフ・トルストイの小説『復活』を桝本が脚色し、細山喜代松が監督した『カチューシャ』が向島撮影所開所以来の大ヒットとなり、続編がつくられた〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、p.218-221.〕。同年、菊池幽芳のベストセラー小説を桝本が脚色し、小口が監督した『毒草』は、他社2社と競作になった〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、p.272-273.〕。1919年(大正8年)には、同社を退社した。
1932年(昭和7年)、オリジナルシナリオを書き下ろしたパートトーキー上海戦線四十哩』が公開されたが、同年8月22日、あるいは8月19日に死去した〔〔。満48-49歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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