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蓮台寺(れんだいじ)は、熊本県熊本市西区蓮台寺にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。肥後国三十三ヶ所観音霊場第16番札所。「檜垣寺」の異名で知られる。 == 歴史 == 開基年代は不明。第65代花山天皇の頃(984~986年)、新古今和歌集や後撰和歌集等で知られる女流歌人・檜垣が、晩年、肥後国白川のほとりのこの地に草庵を結び、観音像を安置して信仰の日々を過ごしたのが寺歴の始めという〔ただし「日本名刹大事典」937頁には「延喜年間(901~22)の創建という」とある。延宝6年(1678年)に鋳造された梵鐘の銘では、大宰大弐・藤原興範(844~917年)の創建とする。〕。 このことから寺は「檜垣寺」とも呼ばれ、寺には檜垣にまつわる「檜垣の塔」「檜垣媼像」などが伝わる。 檜垣については、この地で井戸の水を汲んで岩戸観音に日参したと言われ、また、三十六歌仙の一人で清少納言の父であった清原元輔が肥後国司であったとき、檜垣が元輔と交わした歌、「年ふれば わが黒髪も 白川の 水は汲むまで 老いにけるかな」「白川の 底の水ひて 塵立たむ 時にぞ君を 思い忘れん」はこの地で詠んだとされる。 正保年間(1645~1648年)、顕空文海上人が総本山禅林寺から来て寺の再興に努め、寛文6年(1666年)、中興開山となる。寛文11年(1671年)には、熊本藩主・細川綱利より寺領及び恵心僧都の手になる阿弥陀仏等の寄進を受け、興隆した。 寛政年間、当時の住職であった明空上人が白川の氾濫による死者の供養のため、千日念仏行脚の上、境内に千体の地蔵を安置し、これにより「千体地蔵寺」とも呼ばれた。 また、熊本藩最初の富講(富籤)興行は、浪人・平塚藤右衛門の願いにより、元文2年(1737年)、この寺の境内で行われたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蓮台寺 (熊本市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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