翻訳と辞書
Words near each other
・ 桶村久美子
・ 桶柑
・ 桶物語
・ 桶狭間
・ 桶狭間の合戦
・ 桶狭間の戦い
・ 桶狭間ジム
・ 桶狭間古戦場
・ 桶狭間古戦場跡
・ 桶狭間合戦
桶狭間神明社
・ 桶田敬太郎
・ 桶田龍
・ 桶町千葉道場
・ 桶職人
・ 桶谷大
・ 桶谷式
・ 桶谷式乳房治療手技
・ 桶谷式乳房管理法
・ 桶谷式手技


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

桶狭間神明社 : ミニ英和和英辞書
桶狭間神明社[おけはざましんめいしゃ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おけ]
 【名詞】 1. bucket 
狭間 : [さま, はざま]
 【名詞】 1. (1) interval 2. (2) valley 3. gorge 4. ravine 5. (3) loophole 6. eyelet
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神明 : [しんめい]
 【名詞】 1. deity 2. God
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

桶狭間神明社 : ウィキペディア日本語版
桶狭間神明社[おけはざましんめいしゃ]

桶狭間神明社(おけはざましんめいしゃ)は、名古屋市緑区桶狭間神明にある神社である。正式名称は神明社(しんめいしゃ)という。旧社格は村社、祭神として天照大神を祀る。
==概要==
愛知県教育史編纂部による『神社に関する調査』(1931年昭和6年))は、神明社の創建を1791年寛政3年)頃としている〔『緑区の歴史』:258ページ〕。しかし、『寛文村々覚書』(寛文年間(1661年 - 1673年))や『尾張徇行記』(1808年文化5年))には桶廻間村に「前々除」として存在した3つの社のひとつとして記載され(他は愛宕社、山之神社)〔『名古屋叢書続編 第三巻 寛文村々覚書(下)・地方古義』:99ページ〕〔『名古屋市蓬左文庫編 尾張徇行記』:171ページ〕、「前々除」が1608年慶長13年)の伊奈忠次による検地(備前検)の際に崇敬の証として社寺の所領地が無税とされたことを示す言葉であることから、神明社が江戸時代初頭にはすでに存在していた可能性が高い〔。

桶狭間の戦いの折りには今川方の先手侍大将として当地に着陣した瀬名氏俊が戦勝を祈願したといわれ、このとき奉献した神酒の酒桶とされるものが宝物として残されている〔現地案内板より。〕。この宝物は今川義元が水を汲んだ桶であるともいわれる〔『有松』:106ページ〕。
1753年宝暦3年)には社殿の大造営が行われ、現在も残る神楽殿および裏山の瑞垣はこの時に作られたものである〔桶狭間神明社由緒書より。〕。明治時代に至り、神社合祀の動きを受けて村内各所に散在していた小祠が集められ、13の境内社として存続することになる〔。社殿は1935年(昭和10年)にも改築され、現在に至っている〔『有松町史』:17ページ〕。
社殿の左右に立つ樹幹は「お手植えの杉」と呼ばれる。宝永年間(1704年 - 1710年)、知多地方巡行の際に桶狭間神明社を参詣した尾張藩第4代藩主徳川吉通が拝殿前にの苗木を植樹、巨木に成長した杉は1世紀以上にわたって繁栄し続けたが、1824年文政7年)の台風により倒伏枯死してしまう。これを惜しんだ氏子らが枯死した樹幹を同じ場所に直立させ、神木として保存するようになったという〔。

また、境内には盃状穴(はいじょうけつ)を持つ石が残されている。元々は参道入口にあった常夜灯台座として使用されていた石とみられ、五穀豊穣・安産を願って刷り刻まれたものであるとか、子供の遊びで刻まれたものであるとかいういわれを持つ古い遺物である〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桶狭間神明社」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.