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梁 光烈(りょう こうれつ、Liang Guanglie、1940年12月 - )は中華人民共和国の軍人。国防部部長、中国共産党中央委員会委員、党中央軍事委員会委員、中華人民共和国中央軍事委員会委員を務めた。最終階級は上将。 == 経歴 == 四川省綿陽市三台県で生まれた漢族。1958年1月、17歳で中国人民解放軍に入隊し、第1軍第1師団第2連隊工兵大隊戦士(兵卒)から軍歴を始める。1959年に中国共産党に入党。 1960年、将校に列し、小隊長となる。1963年より解放軍信陽歩兵学校に学ぶ。1964年、第1師団に戻り、司令部参謀などを歴任。1970年、武漢軍区司令部参謀に昇進。1974年、同司令部作戦部副部長。 1979年、第20軍第58師団副師団長。1981年、同師団長。1983年、第20軍副軍長。1985年、第20集団軍軍長。1984年から1986年まで河南大学政治理論専攻科の通信教育を受ける。 1990年、第58集団軍軍長。1995年、大軍区である北京軍区副司令員。1997年、瀋陽軍区司令員に昇進。 1999年、南京軍区司令員および軍区党委員会副書記に就任した。 2002年6月、上将に昇格〔1988年恢復軍銜制后授予上将軍銜、警銜情况 〕。同年11月、人民解放軍総参謀長、党中央軍事委員会委員に抜擢された〔十六大授権発布:中国共産党第十六届中央委員会第一次全体会議広報(名単) 〕。 2003年3月16日、国家中央軍事委員会委員を兼務〔中華人民共和国全国人民代表大会公告(十届一次第4号) 〕。党内では中央委員の地位にある。 2007年10月、第7期1中全会において党中央軍事委員会委員に再任〔中国共産党第十七届中央委員会第一次全体会議公報 〕。 2008年3月16日、第11期全国人民代表大会第1回会議の決定により国家中央軍事委員会委員に再任され〔中華人民共和国全国人民代表大会公告(十一届第4号) 〕、翌17日には国務委員兼国防部部長に任命された〔中華人民共和国主席令(十一届第2号) 〕。 2012年11月の第18回党大会において党中央委員会委員に選出されず、党中央軍事委員会委員からも退任。さらに翌2013年3月の第12期全人代において国家中央軍事委員会委員および国務委員、国防部部長を退任した。 第13、14期党中央候補委員。第15、16、17期党中央委員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梁光烈」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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