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梁 思成(りょう しせい、1901年4月20日 - 1972年1月9日)は中華人民共和国の建築史家、建築家。中国の古代建築と文化遺産の保護に尽力した。中央研究院院士、中国科学院哲学社会科学学部委員。父は清朝末期の改革派である梁啓超、妻は建築家の林徽因である。 == 経歴 == *1901年 東京に生まれる(祖籍・広東省新会県) *1906年 横浜大同学校幼稚園、神戸同文学校初級小学校(~1912年) *1912年 両親とともに帰国 *1912年 北京の匯文学校と崇徳学校で学ぶ (~1915年) *1915年 清華学校入学(~1923年) *1919年 清華学校学生による愛国十人団及び義勇軍五四運動に参加 *1924年6月 林徽因とともにペンシルベニア大学建築学科入学 *1927年6月 ペンシルベニア大学卒業、修士の学位を得る。 *1927年9月 ハーバード大学大学院博士課程転入。中国建築を研究(~1928年2月) *1928年3月 林徽因と結婚 *1928年9月 東北大学(瀋陽)建築学科を創設し、学科主任(~1931年6月)。後に『中国彫塑史』として出版する授業要綱を仕上げ、大学で初講義を行う *1931年9月 中国営造学社法式部主任(~1937年8月学社解散) *1932年 北京大学教授。中国建築史を講義。 *1933年 清華大学教授兼任、建築学を講義。 *1939年 四川省古物保存委員会委員(~1945年) *1943年 『中国建築史』、『中国建築史図録』(英文)を著す *1946年 清華大学建築学部学部長(~1972年) *1946年11月 アメリカで視察調査と学術講演 *1947年 国連本部設計建築顧問団中華民国政府代表 *同年4月 プリンストン大学より名誉文学博士号授与 *1948年9月 南京政府中央研究院院士 *1949年 全国政治協商委員会委員(~1972年) *同年 北京市人民政府委員会委員(~1964年) *1950年1月 北京市都市計画委員会副主任委員に任命をうけ、北京の都市計画に取り組む *1953年 中国民主同盟加入 (~1972年) *1953年10月 中国建設工程学会第一期理事会副理事長 *1954年 北京市人民代表大会代表(~1964年) *1955年 「梁思成は代表的ブルジョア階級唯美主義的復古主義建築思想」と批判を受ける *同年 中国科学院技術科学部委員 *1956年 中国民主同盟中央常務委員(~1972年) *1959年1月 中国共産党入党 *1962年6月 先妻の姪である林洙と再婚 *1966年6月 『営造法式注釈』完成 *同年 文化大革命により批判、「反動学術権威」とされる *1971年 中国共産党党籍回復 *1972年 北京にて病死 *1980年代以降、著作の整理、出版がおこなわれるようになる 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梁思成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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