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梁漱溟 : ミニ英和和英辞書
梁漱溟[りょう そうめい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はり]
 【名詞】 1. a beam 

梁漱溟 : ウィキペディア日本語版
梁漱溟[りょう そうめい]

梁 漱溟(りょう そうめい)は近代中国思想家。祖籍は広西省桂林県1911年に順天中学を卒業した。
1917年蔡元培学長に招かれ、北京大学の教授となり、インド哲学を講じた。
その後、1928年に「村治」として提唱した自らの思想的実践を果たすために、郷村建設運動に没頭し、儒教の精神に法った農村社会運動家、教育家として、山東省の郷村建設の指導を行った。また、日本二宮尊徳を敬愛したことでも知られている。
第二次世界大戦中は、1941年に結成された中国民主政団同盟に参加し、国共両陣営の橋渡し役を演じ、民主同盟の結成に参画した。
1946年、政治協商会議後にいったん引退した後、人民政府の成立後、四川省の土地改革に参加した。1951年、中国人民政治協商会議委員に補選され、思想改造の手記を公表した。毛沢東ら共産党中央が、農民の生み出す余剰を搾取し、都市における工業化に投入する、という社会主義過渡期の総路線政策に転換したのに対して、農民こそが中心であるとし、政治協商会議の場で毛沢東に対して自己批判を求めた。このため、1955年以降、思想批判にさらされ、1956年の中国人民政治協商会議第2次全体会議で自己批判を行った。

== 著書 ==

*『東西文化とその哲学』
*『郷村建設理論』

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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