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梁 統(りょう とう、生没年不詳)は、中国の新代から後漢時代初期にかけての武将、政治家。字は仲寧。涼州安定郡烏氏県(甘粛省平涼市)の人。河西〔中国の北西部で、黄河が内陸を北東に流れる領域において、その西部。〕に勢力を張った新末後漢初の群雄の1人である竇融の片腕と言うべき人物。後に後漢草創期の功臣の1人となった。 春秋時代の晋の大夫梁益の末裔。父は梁延。兄は梁巡。子は梁松、梁竦。従弟は梁騰。梁統の祖先は元々は河東郡に居住していたが、梁統の曾祖父梁橋の代(哀帝・平帝の末)に安定に移住した。後漢後期の外戚・権臣である梁冀は、梁統の玄孫(梁竦の曾孫)にあたる。 == 事跡 == === 竇融擁立 === 梁統は剛毅な性格で、法律を好んだ。最初は州郡に任官し、更始2年(24年)、更始帝(劉玄)に召されて中郎将に任じられ、また、涼州の安寧のために、酒泉太守に任命された。 更始3年(25年)、更始政権が滅亡し、赤眉軍が長安に入城すると、梁統は、竇融や他の河西の郡太守たちと共に、連合して匈奴から自らを守ろうとした。この際、官位に基き、参画者たちは梁統を頭領に推薦したが、梁統は辞退し、竇融を河西大将軍(正確には、行河西五郡大将軍事)として頭領に擁立している。梁統は武威太守に移り、その統治は厳格で、威信は隣郡にまで及んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梁統」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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