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梅乃ハッパ : ミニ英和和英辞書
梅乃ハッパ[うめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [の]
  1. (prt) (1) (uk) indicates possessive 2. (2) verb and adjective nominalizer (nominaliser) 3. (3) indicates question (sentence end)

梅乃ハッパ ( リダイレクト:平和ラッパ・梅乃ハッパ ) : ウィキペディア日本語版
平和ラッパ・梅乃ハッパ[へいわ らっぱ うめの らっぱ]
平和ラッパ・梅乃ハッパ(へいわ ラッパ・うめの ラッパ)は、吉本興業所属の音曲漫才コンビ。関西演芸協会会員。1987年10月コンビ結成。
コンビ結成以来毎年「笑いのおもちゃ箱」というイベントを開催している
== メンバー ==
三代目平和ラッパ(へいわ ラッパ、1943年8月10日 - 、大阪府大阪市出身、本名:生井博司) - 立ち位置は左
*「アホ芸」で一世を風靡した二代目平和ラッパ・日佐丸の漫才にラジオで接し、ファンレターを送った事で楽屋に呼ばれるようになる。弟子入りを志願し断られたが、その後も楽屋に通いつめ、高卒後の1962年に入門
*1963年に川乃わたる、海乃ひろし(後の平和とんじ)と共に山乃たかしの名で音楽ショウスリーナイス』を結成し新世界新花月で初披露。
*1967年にスリーナイス解散。まもなく平和勝治(しょうじ)の名で平和勝次とギター漫才を組んだ際に、勝治・勝次では紛らわしいので平和勝一と改名
*勝次とのコンビ解消後、平和二郎と『勝一・二郎』を組んだが、ここも長続きせず解散。
*美容師出身の平和勝三と『勝一・勝三』を組み、更に勝八を加えた音楽ショウ『トリオOHK』を結成
*勝八が抜けたのを機会に、三代目平和ラッパと六代目平和日佐丸を同時に襲名し、『平和ラッパ・日佐丸』を復活させた。先代とは異なり「アホ」を売り物とせず、道頓堀浪花座をホームグラウンドに、従前ギター漫才を貫いた
*勝三(六代日佐丸)とのコンビ解消後、1987年に梅乃ハッパと現在のコンビを結成しフリーなどを経て、吉本興業に移籍
*現在大阪市内で「笑楽館」というスナックを経営している。
*立山センター・オーバーのセンターとは夫人同士が姉妹であるため義兄弟の間柄。
梅乃ハッパ(うめの ハッパ、1953年2月2日 - 、秋田県出身、本名:永井良治) - 立ち位置は右
*北秋田市立鷹巣中学校卒業後、吉本新喜劇の研修生になったが、1974年に脱退してルーキー新一門下に移籍
*ミッキー修を名乗り、『新ルーキー劇団』の旗揚げに参加。以降、ルーキーの付き人として行動を共にしていた
*1975年にルーキーが関東転出した際も、漫才コンビの相方を務めて浅草松竹演芸場に連続出演し、帰阪したルーキーの最期も看取った
*師匠の没後、松竹芸能の『トリプルパンチ』に加入
*亭号の「梅乃」は「ハッパ」に掛けたものだが、師匠であるルーキー新一の漫才師時代(梅乃松夫)の亭号でもある.
*暁伸タイヘイ洋児と並ぶギブソンの使い手。現在舞台で愛用中のギターの中には、タイヘイ洋児や松島一夫から譲り受けたビンテージのギターがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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