|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 梅 : [うめ] 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point
梅山 修(うめやま おさむ、1973年8月16日 - )は、埼玉県岩槻市(現さいたま市)出身の元プロサッカー選手、政治家、サッカー解説者。 選手としてのポジションはディフェンダー(主に右サイドバック)、ミッドフィールダー(主にウイングバック)。 == 来歴 == === サッカー選手として === 1992年に浦和学院高校を卒業し、ジャパンフットボールリーグ(JFL)に所属するNKKサッカー部に入部。社員選手として社業とサッカーを併行してこなした。しかし、同部は1993年をもって廃部となったため、1994年より同じくJFLの藤枝ブルックス(後のアビスパ福岡)に移籍し、プロ契約を結んだ〔 湘南ベルマーレ (2002年9月27日)〕。1995年にはベストイレブンに入る活躍でリーグ優勝を達成し、Jリーグへの昇格を果たした。 1998年、NKK在籍時に指導を受けた倉又寿雄の口利きで、倉又がヘッドコーチを務めるJFL・東京ガスフットボールクラブ(後のFC東京)に移籍。豊富な運動量とスピードに乗った攻撃参加で〔 FC東京〕右SBのレギュラーとして定着し、J1昇格に貢献した。しかし、2000年から、J1での戦いに向けて内藤就行が加入したことによって梅山は控えに追いやられ〔 東京中日スポーツ (2001年4月7日)〕、2001年限りで退団。 2002年よりJ2・湘南ベルマーレへ移籍した〔 FC東京 (2001年12月20日)〕。湘南ではキャプテンも任され〔 湘南ベルマーレ (2003年7月19日)〕J1昇格を目指したが叶わず、2004年、前年のJ2で優勝し初のJ1に挑むアルビレックス新潟へ移籍〔 アルビレックス新潟 (2004年1月5日)〕。2006年シーズンを最後に現役を引退。公式戦での得点は無く、Jリーグにおいて無得点である選手の中では最多の出場試合数を記録した。 2008年度より、アマチュア選手としてASジャミネイロに所属し、なおもプレーを続けた。2014年、A級ジェネラルコーチライセンス取得〔 日本サッカー協会 (2014年4月10日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梅山修」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|