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梅崎 春生(うめざき はるお、1915年(大正4年)2月15日 - 1965年(昭和40年)7月19日)は、日本の小説家。 == 来歴・人物 == 福岡市簀子町生まれ(現中央区大手門)。旧制修猷館中学校(現福岡県立修猷館高等学校)、第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部国文科に入学。同人誌『寄港地』を発行する。在学中、『早稲田文学』に「風宴」を発表。卒業後、東京市教育局教育研究所に雇員として勤務する。徴兵を受け、鹿児島県で暗号兵として敗戦を迎える。この時の体験がのちの作品に反映されているが、配属された坊津町の特別攻撃隊などについては生涯一切語ることはなかった(詳細については外部リンク参照)。 戦後、江口榛一の『素直』編集部に勤め、同誌に「桜島」を発表。新進作家として注目される。1950年「黒い花」、1951年「零子」、1953年「拐帯者」がそれぞれ直木賞候補となり、「ボロ家の春秋」(『新潮』1954年(昭和29年)8月号)で第32回直木賞(1954年・下半期)を受賞。同年「砂時計」(『群像』1954年8月-1955年7月)で第2回新潮社文学賞受賞。1964年「狂ひ凧」で芸術選奨文部大臣賞受賞。翌1965年に『新潮』6月号で「幻花」前篇を発表した一か月後、肝硬変により50歳の若さで急死した(度々の深酒癖が原因だった)。「幻花」で毎日出版文化賞受賞。 父親の建吉郎は佐賀県出身で陸軍士官学校を卒業した軍人であり、海軍大将百武源吾とも旧制佐賀中学の同窓。父の福岡配属時に春生が生まれた。祖父梅崎長明の弟梅崎綱吉は、佐賀で相場師として活躍し名を馳せた。第32回直木賞は、佐賀出身の戸川幸夫と合わせ、佐賀の血を引く作家が同時受賞した。 文学史上では第一次戦後派作家のうちの一人とされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梅崎春生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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