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梅村 蓉子(うめむら ようこ、1903年10月21日 - 1944年3月8日〔梅村蓉子 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年2月25日閲覧。〕)は、日本の女優である。本名は鈴木 花子(すずき はなこ)〔。 == 人物・来歴 == 1903年(明治36年)10月21日、東京府東京市日本橋区日本橋蛎殻町(現在の東京都中央区日本橋蛎殻町)の瀬戸物問屋に「鈴木花子」として生まれる〔〔『銀幕の顔』、清水晶、社会保険研究所、1991年9月 ISBN 4882492113, p.30-31.〕。 旧制小学校に上がる1910年(明治43年)には、東京市本郷区(現在の文京区本郷)の本郷座で新派の初舞台を踏む〔〔『昭和4年度「日本俳優名鑑」映画俳優の部』、「芝居とキネマ」昭和4年1月号新春付録、1929年1月、「伏見直江」の項。〕。有楽座のお伽芝居の舞台にも立つ〔。 1922年(大正11年)、松竹蒲田撮影所に入社し、翌1923年(大正12年)公開、島津保次郎監督の『散りにし花』で映画界にデビューする〔〔梅村蓉子、日本映画データベース、2010年2月25日閲覧。〕。同年9月1日の関東大震災によって同撮影所は稼動を停止し、京都の松竹下加茂撮影所に異動になる。翌1924年(大正13年)早々には蒲田撮影所に戻るが、島津保次郎監督の『新己が罪』に主演したのを最後に、1925年(大正14年)、ふたたび京都に移り、松竹キネマを離れて日活京都撮影所に移籍した〔。溝口健二監督の『紙人形春の囁き』が出世作であり〔、阿部豊監督の『足にさはつた女』(1926年)、溝口健二監督の『唐人お吉』(1930年)等に主演し人気を得た〔。 1935年(昭和10年)、日活で争議が起きてからはフリーランスとなる〔。同年、永田雅一が立ち上げた第一映画の設立に参加、溝口健二監督の『マリヤのお雪』、『虞美人草』、『祇園の姉妹』、『浪華悲歌』等に出演した〔〔。翌1936年(昭和11年)、永田が新興キネマに入社するに至り、同社は解散、梅村も新興に移籍した。1942年(昭和17年)、戦時統制により同社が合併し、大映を形成すると、大映京都撮影所に所属した。 1944年(昭和19年)、溝口健二監督の『団十郎三代』の丹波山中でのロケーション撮影に参加したところ、急性盲腸炎から腹膜炎を併発、同年3月8日、死去した〔。満40歳没(享年42)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梅村蓉子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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