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梅村騒動(うめむらそうどう)とは、明治時代、高山県(旧飛騨国、現岐阜県飛騨地方)で発生した、大規模な騒動である。 明治政府による急激な改革と、保守的な旧幕府領の人々との間で起きた事件である。 == 経緯 == === 梅村速水の知事就任と改革 === 1867年(慶応3年)の江戸幕府15代将軍徳川慶喜による大政奉還及び、同年12月9日の王政復古の大号令により、旧江戸幕府直轄領である天領の飛騨国は飛騨県となる。すぐに名称は改称され、高山県となる。水戸藩士梅村速水(本名・沼田準次郎)は、27歳にして初代高山県知事に就任する。この就任は、美濃国揖斐の勤王志士、棚橋衡平と親交があったためその推挙で飛騨国出役を命じられたものと言われる。〔下呂町誌編纂委員会 『下呂町誌 全』下呂町、1954年、207頁〕 梅村は、孝子・節婦をほめ、生活に苦しむ者の救済方法として、高山県営の富札を発行してその金利を厚生面に使おうとするなどの改革を進める。また、財政の安定のために、日用品まで専売制にした上、各種の商売を許可割にして運上金と称する税金を徴収したことから、県民の生活は苦しくなってくる。また、新しく各20人~60人からなる郷兵を整えたことが火消しとの対立を招くこととなる。 旧幕府領であり、保守的な考えの強い県民と梅村知事の急激な改革は、両者を対立を招くこととなる。梅村は神官や僧侶を役所に集めて教諭方に任じ、各村々へ派遣して新しい政治に従うよう説得にあたらせ、事態の収拾に努めることとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梅村騒動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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