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梅沢 道治(うめざわ みちはる、嘉永6年10月4日(1853年11月4日) - 1924年(大正13年)1月10日)は、日露戦争で活躍した大日本帝国陸軍軍人。近衛歩兵第2旅団長、第6師団長を歴任し、陸軍中将勲一等功二級に昇る。 == 略歴 == 陸奥国仙台藩士・梅沢道貞の二男として生まれた。藩校・養賢堂で学ぶ。戊辰戦争では星恂太郎率いる仙台藩額兵隊隊士として箱館戦争まで参戦し、明治2年(1869年)5月に捕虜、流罪となる。 釈放後の明治4年(1871年)1月、大坂陸軍兵学寮青年舎に入った。明治5年(1872年)3月、少尉心得に任官し陸軍教導団付となる。同年6月に少尉に昇進。1877年(明治10年)の西南戦争では歩兵第3連隊に属して従軍。1881年(明治14年)5月、歩兵第7連隊付となり、近衛歩兵第1連隊副官、歩兵第12連隊中隊長、陸軍省人事局課員、近衛歩兵第2連隊中隊長を歴任。1887年(明治20年)4月、歩兵少佐に昇進し近衛歩兵第1連隊付となる。 1888年(明治21年)5月、歩兵第24連隊大隊長に就任し、歩兵第23連隊大隊長に異動。日清戦争では1895年(明治28年)1月に第2軍兵站司令官として出征。同年4月、歩兵中佐に進級。1896年(明治29年)9月、歩兵第40連隊長に着任。1899年(明治32年)2月、歩兵大佐に昇進。 1900年(明治33年)3月、近衛歩兵第4連隊長に転じ、1904年(明治37年)3月、日露戦争に出征。現地で同年7月、陸軍少将に進級し後備歩兵第5旅団長に発令されたが赴任せず、同年11月、負傷後送となった近衛後備歩兵第1旅団長の後任となり、組織替えした近衛後備混成旅団長となった。 1906年(明治39年)2月28日、近衛歩兵第2旅団長となり、1907年(明治40年)4月から6月までアメリカ合衆国に出張。1911年(明治44年)9月6日、陸軍中将に進み第6師団長に就任する。1914年(大正3年)5月16日付で勲一等瑞宝章受章。梅沢はこのほか歴戦の功により功二級金鵄勲章、功三級金鵄勲章、功四級金鵄勲章を受章している。1915年(大正4年)10月4日、後備役編入。1924年(大正13年)1月10日数え72歳で没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梅沢道治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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