|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 梅 : [うめ] 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system)
梅津 宏治(うめつ こうじ、1976年9月29日 - )は、日本のプロボクサー。元日本フェザー級王者。ワタナベボクシングジム所属。千葉県立鎌ケ谷高等学校、日本大学理工学部卒業。 == 来歴 == 高校時代はラグビーをしており、ボクシングを始めたのは大学に入学してからと日本王者になるほどの選手としては遅かった。その後玩具メーカーの社員となるが、ボクシングに専念するために後に退職する。 デビューから2008年まで1度のダウンもない。TKO負けは全て負傷によるものである。 2000年11月22日、新松戸高橋ボクシングジム所属でプロデビューする。上原友和(白井・具志堅)を4RKOで下し白星スタート。 2001年12月13日、その後2戦2勝でスーパーバンタム級會田耕平(オサム)との試合で4R判定負けで初黒星を喫した。その後1勝しその後3連敗。 2003年11月12日、3連敗後3連勝し能登齋尚(フラッシュ赤羽)との試合で怪我により8RTKOで敗れる。この試合の後ワタナベジムに移籍する。なお、能登は次の鮎川圭祐との試合で、硬膜下血腫により死去している。 2004年10月13日、フェザー級へ階級を変え1勝後、日本9位の寒河江和也(シャイアン長谷川)を激烈な打撃戦で7RTKOで下しランキングに入る。 2005年9月22日、榎洋之(角海老宝石)の日本フェザー級王座に挑戦するが10R判定に敗れ、王座奪取はならなかった。 2006年10月14日、その後2戦2勝し、日本9位で渡邉一久(角海老宝石)を10R判定で破り、日本フェザー級王座を獲得した。 2007年3月3日、初の防衛戦で粟生隆寛(帝拳)の挑戦を受けるも10R判定0-3で敗北して王座を奪われる。 2007年7月13日、復帰戦を高山和徳(船橋ドラゴン)と行い10R引き分けとなった。10月6日には秋葉慶介(角海老宝石)には負けるなどやや不調を思わせた。 2008年3月27日、中村友彦(F・I)に5RTKOで勝利する。この後A級トーナメントから最強後楽園と変わった日本タイトル挑戦権獲得トーナメントに出場。7月1日、準決勝にて日本フェザー級3位武本康樹(千里馬神戸)に2-1の判定勝ち。10月8日の決勝では過去に1度引き分けている日本フェザー級3位の高山と対戦し、8R2-1の判定勝ちで日本王座挑戦権を得た。 2009年2月21日、日本同級王者松田直樹(帝拳)に1位として挑戦したが判定で引き分け、王座奪還ならず。矢板貴行(全日本パブリック)との再起戦は3R負傷引分となり、11月7日には王者・松田に再び1位として挑戦したが、0-3の判定負けを喫した。 2010年11月8日、後楽園ホールにて李冽理が世界挑戦に伴って返上し空位となっていた日本フェザー級王座を、元東洋太平洋同級王者細野悟と争ったが、10R判定(91-99、93-99、92-98)で敗れて約3年8ヶ月ぶりの王座返り咲きに失敗した〔細野、大差判定勝ちで日本王座獲得 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年11月8日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梅津宏治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|