|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 梅 : [うめ] 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) ・ 泰 : [たい] 【名詞】 1. Thailand
梅津 泰臣(うめつ やすおみ、1960年12月19日〔「アニメ人間インタビュー 梅津泰臣」『ジ・アニメ』1986年2月号、近代映画社。〕 - )は日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメーション監督・原作者・脚本家・演出家。福島県郡山市出身。A型。 == 来歴 == 幼少の頃から絵が好きで、将来は漫画家志望だった〔「アニメーター・梅津泰臣のはじまり」『梅津泰臣 visual art works BORDERLESS』〕。 大学浪人後にアニメーターを志して上京し、千代田工科芸術専門学校へ入学する。当時はアニメ業界で生活していく覚悟は無く、漫画科の生徒と交流する中で漫画の面白さにも関心があった。漫画家としての夢は、20代の時に講談社で短編漫画を描いた際、自分には向いていないとして諦めている〔。 卒業後は土田プロダクションで合作作品の動画を3か月描いた後、フリーランスでの活動を開始し、東映動画の作品で動画、動画チェック、原画などを担当する。東映動画作品では、特に合作『スパイダーマン』で共に仕事をしたアニメーターの須田正己の上手さに驚き影響を受ける〔。『幻魔大戦』以後はマッドハウス作品の数々に参加する〔「がんばれ!!HOPEさん! 第1回 梅津泰臣」『アニメージュ』1984年1月号、徳間書店〕。1984年に川尻善昭チーフの下で手がけた『SF新世紀レンズマン』の担当シーンが業界内で注目を浴び、1985年の『機動戦士Ζガンダム』オープニングアニメーション、初めてキャラクターデザインを担当した1986年の『メガゾーン23/PartII 秘密く・だ・さ・い』により、アニメファンにも名を知られる人気アニメーターとなる。翌1987年のオムニバスOVA『ロボットカーニバル』内の「プレゼンス」で、監督デビューを果たす〔小黒祐一郎「この人に話を聞きたい 梅津泰臣」『アニメージュ』2009年2月号、p.137〕。 その後、自らアニメーション企画を立ち上げるようになり、原作、脚本、監督も担当するようになる。1998年には企画から関わったアダルトアニメ『A KITE』が、国内以外にハリウッドでも多大な支持を得る〔。映画監督のロブ・コーエンからも高評されており、彼は自身の息子からこの作品を知ったという〔。その後、2000年には『MEZZO FORTE』、2004年には『MEZZO -メゾ-』、2008年には『KITE LIBERATOR』を発表する。2009年時点では数本の企画を考えており、特に4 - 5年かけてシナリオを完成させた『キス・アンド・クライ』というアニメ映画企画の映像化を構想している〔。やがて、2013年には『ガリレイドンナ』、2014年には『ウィザード・バリスターズ 弁魔士セシル』を発表する。 2014年現在でもフリーランスとして活躍する一方、2006年からは後輩アニメーターの誘いに応じて本格的に同人活動を開始しており〔、同人サークル「しし座流星軍」を主催している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梅津泰臣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|