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梅澤濱夫 : ミニ英和和英辞書
梅澤濱夫[うめざわ はまお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

梅澤濱夫 : ウィキペディア日本語版
梅澤濱夫[うめざわ はまお]
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本医学者細菌学者文化勲章受章者

== 人物 ==
福井県小浜市生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学医学部卒業。卒業後、当時の東京帝国大学医学部細菌学教室、東京帝国大学付属伝染病研究所に勤務。1947年国立予防衛生研究所設立とともに初代抗生物質部長に就任。1954年以降は、東京大学応用微生物研究所教授(兼務)となる。
ペニシリンの国産化に尽力し、1956年、国産初の抗生物質カナマイシンを発見、精製。カナマイシンは、ストレプトマイシンの効きにくい耐性菌にも効果のある抗生物質として世界的に用いられた。当時の厚生大臣橋本龍伍の計らいにより、このカナマイシンの特許料を基金として、1959年財団法人微生物化学研究会を設立、理事長に就任。1962年には同財団付属の微生物化学研究所を開所し、研究所所長に就任した。1940年代後半から40年以上にわたって抗生物質の研究で世界をリードし、稲のいもち病薬であるカスガマイシン、制ガン抗生物質ブレオマイシン、免疫促進物質ベスタチン等を含む、70種を超える抗菌抗生物質、40種を超える制ガン抗生物質、50種を超える酵素阻害物資、5種の免疫系に作用する物質を発見した。
1943年から1993年にかけて、1171編の欧文の論文および研究報告、96編の欧文の総説、141編の和文の総説、14編の欧文の書籍、12編の和文の書籍等を著し、広く学会にも貢献した(1986年の没後に出版されたものも含む)。また、多くの優秀な抗生物質研究者を指導、育成した。
朝日賞日本学士院賞パウル・エールリヒ賞などを受賞、文化勲章を受勲。国際化学療法学会(International Society of Chemotherapy, ISC)は、同学会の最高位の賞として、博士の没年である1986年にハマオ・ウメザワ記念賞(Hamao Umezawa Memorial Award)を制定した。
慶應義塾大学名誉教授で、有機化学、抗生物質の研究者の梅澤純夫は兄。慶應義塾大学理工学研究科基礎理工学専攻教授の梅澤一夫は長男。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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