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梅田良忠 : ミニ英和和英辞書
梅田良忠[うめだ りょうちゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

梅田良忠 : ウィキペディア日本語版
梅田良忠[うめだ りょうちゅう]

梅田 良忠(うめだ りょうちゅう、ポーランド語:Ryochu Umeda、1900年9月25日 - 1961年12月7日)は日本の僧、歴史学者。
1922年(大正11年)駒澤大学卒業後、ポーランドに留学し、ワルシャワ大学卒業。同大学講師。同国の「東洋学院」の教授にも任命され、日本語、日本文化を担当した。日本大使館の文化関係の委託業務を行った。戦時中は朝日新聞社ソフィア駐在嘱託。東欧諸国語の権威。1955年関西学院大学教授。1960年「ヴォルグ・ブルガール史の研究」で関西学院大学 文学博士〔博士論文書誌データベースによる〕。
==少年―青年時代==
梅田良忠は日本橋槙町で弁護士、梅田貞次の長男として生まれた。生まれた時の名前は梅田芳穂であったが、これは彼の長男と同じ名前である。病弱のため、寺に預けられていたが、1907年6歳で得度、同年小学校に入学した〔梅原によると石浜小学校であろうとしている〕。1913年曹洞宗第一中学林に進む。1918年曹洞宗大学林に進む。禅宗のエリート学校である。1922年学校を卒業した際、禅の「立身」という一段上の資格を得た際に良忠と改名した。卒業時、ドイツに留学すると出発したが、ポーランドに行った。その理由は、旅の途中でスタニスワフ・ミホフスキというポーランド人を知りあったのがきっかけとある。ポーランドに留まり、同年10月国立ワルシャワ大学哲学科に入学。初めは英語を使ったが、短期間にポーランド語を習得した。ジェリンスキイ教授のもとでギリシア・ラテン哲学を学んだ。当時はポーランド国内には日本人は8名しかいなかった。彼はポーランドに多くの友人を得て、また日本大使館(1937年10月までは公使館)では、文化関係の仕事の委託業務を引き受けていた〔梅原〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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