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梅田 芳穂(うめだ よしほ、男性、1949年9月16日 - 2012年5月4日)は、日本の社会運動家。ポーランドの民主化に貢献した。 千葉県長生郡鶴枝村 (現茂原市) に生まれる。実父は僧侶で後に関西学院大学教授となった梅田良忠、実母は角川ノンフィクション賞受賞作家の樋口久代。1963年に東欧学者であった父の遺言により、単身ポーランドに渡り、父の友人宅に寄寓。のち母親がポーランド学者の工藤幸雄と再婚し、ワルシャワに住むようになったので、その後は母親と共に生活。 ワルシャワ大学卒業後、日綿実業ワルシャワ事務所に入社。その後、民主化運動に携わり〔NHK「ここから自由の風が ポーランド民主化から20年」2009.8.29.放送 〕日綿を退職、「連帯」に参加。1981年に国外追放処分でパリに移る。同年ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世に特別謁見を許され、後の教皇のポーランド祖国訪問を導く。 1989年、永住権復活。民主的全国選挙の選挙参謀となり勝利した。1990年有限会社「YOHO」創業。2001年ポーランド文化功労章、2006年ポーランド十字勲章受章〔„Spotkanie po latach” - uroczystości z okazji 30-lecia KOR w Pałacu Prezydenckim 〕。 6ヶ国語を話す国際人である。 2012年5月4日にワルシャワの病院で死去〔訃報:梅田芳穂さん62歳=元ポーランド連帯国際局次長 毎日新聞 2012年5月10日閲覧〕。 ==脚注== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梅田芳穂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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