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梅翁軒永春 : ミニ英和和英辞書
梅翁軒永春[ばいおうけん えいしゅん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [おきな]
 【名詞】 1. old man 2. venerable
: [のき]
 【名詞】 1. eaves 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

梅翁軒永春 : ウィキペディア日本語版
梅翁軒永春[ばいおうけん えいしゅん]
梅翁軒 永春(ばいおうけん えいしゅん、生没年不詳)とは、江戸時代初期の浮世絵師
== 来歴 ==
姓長谷川、名は春信。号は梅翁軒、梅峯軒、永春。のち正徳頃に竹田春信、光春とも号す。江戸の人。懐月堂派とされているが、作風はより描線が弱く、独立の絵師であると考えられる。元禄1688年-1703年)から享保1716年-1735年)頃、肉筆浮世絵を得意とし、美人画を描いた。懐月堂派風の美人画を描く絵師の中では最も作品数が多く、画題の幅も広い。落款の上に「日本画」と冠している。
宝永元年(1704年)から翌年の春にかけて成立された「月次遊戯図巻(江戸十二月年中行事絵巻)」(シカゴ美術館所蔵)を残していることから、元禄後期には既に画業を始めていたと考えられ、懐月堂派の亜流というより同時期かやや先行する時期から活躍し、寧ろ懐月堂派の登場に影響を与えた可能性も考えられる。また三幅対の「三俳優図」(『浮世絵大成』第2巻 第243図) には、立役、若女形、若衆方が描かれており、絵を手がかりに考証すれば、立役は中村七三郎、若女形は津川半太夫、若衆方は中村大蔵となり、この考証が正しいものであればこの作品は元禄13-14年(1700-1701年)に作画されたものと推定でき、永春の作画期はさらに遡ることになる。優美ながら落ち着いた画風で、立美人図は九頭身ほどもある伸びやかなものが多く見られる。作例はおよそ20を超え、享保期頃まで作画していたと思われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「梅翁軒永春」の詳細全文を読む




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