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梶田 宙(かじた ひろし、1983年1月5日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(外野手)。2014年11月より、四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスの球団社長を務める。 == 経歴 == 享栄高では野球部でキャプテンを務め、3年生の2000年3月に第72回選抜高等学校野球大会に1番・センターで出場(1回戦で敗退)〔背番号0の梶田です - 高知ファイティングドッグスオフィシャルブログ(2014年9月4日)〕。 愛知大学経済学部を経て、に発足した四国アイランドリーグのトライアウトに合格し〔四国アイランドリーグ選手選考会に合格 梶田 宙(ひろし) 経済学部4年 - 愛知大学〕、高知ファイティングドッグスに入団。卒業後の進路としては軟式野球チームの内定を得ており、トライアウトは「記念受験」だったという〔高知ファイティングドッグス 梶田宙 - 独立リーグドットコム(2013年3月11日)〕。リーグの開幕戦となった4月29日の対愛媛マンダリンパイレーツ戦(松山中央公園野球場)に、2番・レフトでスタメン出場し、最初の打席に西山道隆から安打で出塁、盗塁の後、後続打者の安打でホームインし、リーグ公式戦初安打・初盗塁・初得点を記録する〔。初年度はリーグ優勝したチームで87試合に出場した。 は打率.293でリーグ7位となり〔打撃成績(IL通算) - 四国アイランドリーグplus公式サイト(2014年11月14日閲覧)〕、外野手部門のベストナインに選出された〔四国IL2007 ベストナイン確定 - 四国アイランドリーグニュースリリース(2007年10月31日、PDF文書)〕。 は前期の5月から6月にかけて負傷で1か月あまり離脱した〔頼れる男、戻った 肉離れ癒え順調 FDの梶田 - 高知新聞2009年6月26日〕が、2度目の年間総合優勝と初の独立リーグ日本一(グランドチャンピオンシップ優勝)を経験。この年、長崎セインツとのリーグチャンピオンシップ第2戦、延長14回表に勝ち越しとなる長崎のランナーを自らの返球により本塁でアウトにし、サヨナラ勝ちにつながったプレーを「一番の思い出」と引退時に述べている〔10年目梶田が今季で引退 - 高知新聞2014年9月7日〕。 は5月5日の試合中に味方選手との接触により負傷して手術ののち1か月半入院〔香川に逆転負け - 高知新聞2011年9月19日〕、5月23日付で自由契約となる〔支配下選手契約解除のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2011年5月23日)〕。リハビリにより9月17日に再登録〔支配下選手契約のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2011年9月17日)〕を受けた翌9月18日の試合まで出場できず〔、出場は13試合にとどまった〔唯一のリーグ生え抜き梶田主将7年分の恩返しを - 高知新聞2012年4月7日〕。 以降は、初年度より続けてリーグに在籍する最後の選手となる〔。梶田自身は当初はプレーは3年程度〔発足当時のリーグには選手の在籍を3年以内に制限する方針があったが、実施されなかった。〕と考えていたが、NPBに進むのが困難となってからも高知で支援してくれた人のために(気持ちが変わって)プレーを続行したと、2013年のインタビューで述べている〔。梶田が長くプレーできた背景として、独立リーグでは初めての個人スポンサーをつけるなど、球団側が人気選手として待遇に配慮した点も指摘されている〔中村計「独立リーガー梶田宙、異例の引退式。ジーターより、稲葉よりも輝いた日 」- Sports Graphic NumberWeb連載「野ボール横丁」(2014年10月8日)〕。 2012年のシーズンはキャプテンを務めた〔。 のシーズンは序盤好調だった〔絶好調9年目「ここ一番で打てる選手に」 - デイリースポーツ2013年5月8日〕ものの、5月中旬から約2ヶ月間、練習生への降格を経験した〔支配下選手登録及び解除のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年5月15日)〕〔支配下選手登録及び解除のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年7月1日)〕。 リーグ在籍10年目となったは2度目のキャプテンを務める。指名打者での出場が増えるが、国本和俊(元香川オリーブガイナーズ)が持っていたリーグ通算最多出場記録を更新した〔国本は享栄高校の1学年後輩で、アイランドリーグに誘ったのは梶田である(参考外部リンク)。〕。9月6日、現役引退を発表〔〔梶田選手引退のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2014年9月6日)〕。引退の理由について、「捕れると思った打球が捕れなかったり、動体視力が落ちた。ファンに喜んでもらえるプレーができなくなった」と新聞の取材に答えている〔。また、引退後に執筆した文章では、8月の試合で死球を受けて右手の指を骨折したことが、引退を決意するきっかけになったと記している〔野球西国巡り第211回 - Sports Communications(2014年12月2日)〕。9月13日の対香川オリーブガイナーズ戦(土佐山田スタジアム)が「引退試合」とされた〔ただしこのあとシーズン終了までの残り3試合にも出場している。〕。この試合に5番センターで出場した梶田は偶然ながらチーム最後の打者となった〔アイランドリーガー・梶田宙の花道~四国・高知一筋の10年目をもって引退 - 鷹野正人の「スポーツ観察日記」プロ野球編(2014年9月15日)Sportsnavi+〕。試合終了後に引退セレモニーがおこなわれ、両チームの選手から胴上げされた〔〔〔FD・梶田宙選手の引退式にファン続々 - 高知新聞2014年9月14日〕〔【ゲームレポート】Mr.FD梶田への敬意、香川OG全員全力プレーでの祝福 - よんすぽ(2014年9月16日)〕。長年の功績をたたえ、球団は梶田の背番号(0番)を永久欠番とした〔。リーグで永久欠番の指定は初めてである。 シーズン終了後の10月29日、11月1日付で高知の球団社長に就任することが発表された〔高知FD新球団社長に梶田宙選手が就任 - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2014年10月29日)〕〔高知FD社長に梶田氏「日本一、愛される球団に」 - 高知新聞2014年10月30日〕。元選手が球団社長に就任するのは独立リーグで初めてとなる〔野球:四国IL・高知Fドッグス、新社長に梶田選手 - 毎日新聞高知版2014年10月30日〕〔独立リーグ球団の代表者を務める元選手としては、BASEBALL FIRST LEAGUE・兵庫ブルーサンダーズ代表の高下沢(元・香川)が梶田より先んじているが、兵庫ブルーサンダーズは特定非営利活動法人(NPO)のため、「球団社長」ではない。〕。社長を引き受けた理由について、自分を成長させてくれた高知への恩返しであると述べている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梶田宙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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