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森コンツェルン(もりコンツェルン)は、アルミニウムなどの工業中心のコンツェルン。実業家の森矗昶が創始したコンツェルンで、日本産業、日本窒素肥料、日本曹達、理化学研究所とともに新興コンツェルンと呼ばれた。日本の15大財閥の一つに数えられた。 硫安やアルミニウムなど、当時の日本ではまだ工業化されるに至らなかった事業を先駆けて興し、しかもこれらを国産技術で作ることに成功している。 == 概要 == 創始者の森矗昶は高等小学校卒の学歴しかもたなかったが、盛んな事業欲と活動力を備えた人物で、少年時代から父の経営するヨード製造の事業に従事した。1908年、25歳の時、鈴木三郎助と連携して房総水産株式会社を設立、ヨード事業の拡張を計った。それ以来、森と鈴木の資本力を背景として塩素酸カリの製造、そのための電力供給源たる東信電気株式会社の設立など新規事業に参入。第1次世界大戦後の景気後退で一時、停滞するが、森と鈴木との連携はその後も緊密に維持され、森は東京電灯株式会社の余剰電力の利用を目的として、昭和肥料株式会社を設立した。そして神奈川県川崎(京浜工業地帯)に建設した硫安工場において、1931年日本最初の国産法によって硫安の生産に成功。また、1926年には、旧房総水産株式会社の興津工場及び館山両工場を母体とする日本沃度株式会社を設立、長野県大町工場にアルミニウム工場を、神奈川県横浜市にアルミナ工場を建設し、1934年には日本で初となる国産アルミニウムの精錬に成功した。 満州事変以降の軍事特需の追い風を受け経営を拡大、電気化学工業を中心とした財閥を形成、最盛期(昭和16年頃)には、直系14社、傍系6社を擁する化学工業系大コンツェルンに成長していた。 森矗昶が、味の素の創始者鈴木三郎助(二代目)の起こした電力・化学会社に招かれた事から、戦前は味の素グループとも関わりを持ち、のち日本電気工業は味の素傘下の昭和肥料と合併、昭和電工となった。また、安田善次郎が創始した安田財閥や川崎八右衛門が創始した川崎財閥などとも金融的に密接な繋がりを持っていた。 戦後の財閥解体で解散。系列企業のうち、昭和電工と日本冶金工業などが存続している。 *現在の東京都心部において著名な不動産デベロッパーである森ビル・森トラストとは関係は無い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森コンツェルン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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