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森下 洋一(もりした よういち、1934年〈昭和9年〉6月23日 ‐ )は、日本の実業家。 関西学院大学バレーボール部員であったため、先輩である大松博文に薦められ松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)に運動選手枠で入社する〔岩瀬達哉『パナソニック人事抗争史』講談社、2015年〕。後に同社の社長、会長を歴任する。 社長在任時の1995年に「これからはブラウン管の時代」と提唱して液晶開発への投資を縮小〔『日経ビジネス』1997年8月25日〕したことにより、松下が液晶競争に乗り遅れる原因の一つを作る〔立石泰則『パナソニック・ショック』文藝春秋、2013年〕。 現在は相談役。また、学校法人関西学院の理事長を務めた。 == 略歴 == * 1934年(昭和9年) - 兵庫県姫路市に生まれる。 * 1953年(昭和28年) - 姫路市立琴丘高等学校卒業。 * 1957年(昭和32年) - 関西学院大学商学部卒業。同年、松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)入社。 * 1971年(昭和46年) - 同社 電機事業部大阪電機営業所長に就任。 * 1975年(昭和50年) - 同社 近畿電機営業所長に就任。 * 1981年(昭和56年) - 同社 中国特機営業所長に就任。 * 1986年(昭和61年) - 同社 特機営業本部長に就任。 * 1987年(昭和62年) - 同社 取締役に就任。 * 1987年(昭和62年) - 同社 常務取締役に就任。 * 1990年(平成2年) - 同社 専務取締役に就任。 * 1992年(平成4年) - 同社 副社長に就任。 * 1993年(平成5年) - 同社 第5代社長に就任〔1993年(平成5年) 森下社長のもとに新たな出発(パナソニック社史) 〕。 * 2000年(平成12年) - 同社 会長に就任。 * 2006年(平成18年) - 同社 相談役に就任。 * 2008年(平成20年) - 学校法人関西学院理事長就任〔大学・短大トップインタビュー(リクルート進学総研) 〕。 * 2013年(平成25年) - 同理事長退任。 現在までに関西経済連合会副会長、JEITA(電子情報技術産業協会)会長〔JEITA新会長に森下洋一松下電器会長が就任 〕、日本電機工業会会長、郵政行政審議会会長など、数々の公共の益に係わる役職を務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森下洋一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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