翻訳と辞書
Words near each other
・ 森俊章
・ 森俊英
・ 森俊韶
・ 森保さな
・ 森保しほ
・ 森保まどか
・ 森保一
・ 森保洋
・ 森保祐昌
・ 森保翔平
森信三
・ 森信号所
・ 森信茂樹
・ 森信行
・ 森信雄
・ 森修
・ 森倫太郎
・ 森健
・ 森健一
・ 森健一 (エンジニア)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

森信三 : ミニ英和和英辞書
森信三[もり しんぞう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [み]
  1. (num) three 

森信三 : ウィキペディア日本語版
森信三[もり しんぞう]
森 信三(もり しんぞう、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者教育者
== 人物 ==
愛知県知多郡武豊町に父・端山(はしやま)俊太郎、母・はつの三男として生まれる。2歳で岩滑(やなべ、現在の半田市)の森家に養子に出され、以来森姓となる。
1920年(大正9年)広島高等師範学校英語科に入学、福島政雄西晋一郎に学ぶ。1923年(大正12年)、京都帝国大学哲学科に入学し、主任教授西田幾多郎の教えを受け、卒業後は同大学大学院に籍を置きつつ天王寺師範学校(現大阪教育大学)の専攻科講師となる。1939年(昭和14年)に旧満州建国大学に赴任するが、敗戦後の1946年(昭和21年)に帰国、1947年(昭和22年)個人雑誌「開顕」を創刊、1953年(昭和28年)、神戸大学教育学部教授に就任。同大学退官後の1965年(昭和40年)には神戸海星女子学院大学教授に就任。1975年(昭和50年)「実践人の家」建設。1992年(平成4年)逝去。おもな著書に『修身教授録』『哲学叙説』『恩の形而上学』などがある。ちなみに「信三」は戸籍上は「のぶぞう」と読み、「しんぞう」は戦後帰国した際に他人が読みやすいという理由から名乗った通称である。
半田市名誉市民。半田市がつくった新美南吉記念館の一室に森信三記念室が設けられている。
森はその生涯から「人生二度なし」の真理を根本信条とし、「全一学」という学問を提唱した。「全一学」とは、
* 東西の世界観の切点を希求するもの
* 宇宙間に遍満する絶対的全一生命の自証の学
* 世界観と人生観との統一の学
など12項目以上の定義にもとづくもので、要約すると「宇宙の哲理と人間の生き方を探求する学問」となる。森はこれらの思想をもとに全国各地で講演を行なうとともに自ら実践を重ね、日本民族再生に大きく働きかけた。
森の理論は実践から生まれた具体的なものが主で、「立腰」論はその最たる例の一つである。「立腰」論とは「腰を立てる」の意で、森はこれを「人間に性根を入れる極秘伝」としている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「森信三」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.