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森 宗意軒(もり そういけん、生年不詳 - 寛永15年2月28日(1638年4月12日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての人物。 キリシタンで、島原の乱の一揆勢における惣奉行、目付、兵糧奉行〔『天草騒動』より〕である。 == 概要 == 父は西村孫兵衛(森長意軒)。先祖の代から、河内国石川郡の水分五社大明神の南木大明神で神司を勤めていた。 宗意軒は号であり、幼名は傅之丞。傅之丞は武士となって三左衛門と称し、小西行長へ奉公に出たという。文禄・慶長の役時に、行長の荷物を運ぶ船宰領(船頭)となって朝鮮へと渡航した。しかし途中で難破し南蛮船に助けられ、南蛮へ行く。オランダにも行き、6~7年間を過ごした。 その後、中国で入廟老という者に火術、外科治療の法、火攻めの方法などを伝授した。日本へ戻ってきた時にはすでに行長は刑死しており、そのため高野山にしばらく身を潜めた。大坂の陣では真田信繁の軍について戦うが落城し、肥後国天草島へ落ちのび森宗意軒と改名して住んだ。 島原の乱で戦死。弟子に田崎刑部がいる。 熊本県上天草市大矢野町中柳地区に森宗意軒神社がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森宗意軒」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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