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森寺長貞 : ミニ英和和英辞書
森寺長貞[もりでら ながさだ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

森寺長貞 : ウィキペディア日本語版
森寺長貞[もりでら ながさだ]
森寺 長貞(もりでら ながさだ、天正16年(1588年) - 慶長11年8月2日1606年9月4日))は、安土桃山時代武将。建部池田家(森寺池田家)第3代当主。
池田長吉の次男。母は池田家家老伊木忠次の娘。池田家家老森寺忠勝の婿養子。正室は森寺忠勝の娘。通称は主水。
天正16年(1588年池田輝政の弟長吉の次男として誕生。養父森寺政右衛門忠勝の父森寺藤左衛門秀勝は、織田信秀の重臣で、長貞の祖父池田恒興の育ての親。その子忠勝は元織田信長の家来で恒興の家老となり、小牧・長久手の戦いの際には犬山城代を務めた。慶長4年(1599年)に没し、跡を継ぐ男子がいないため、輝政の命で長貞が養子となって忠勝の家督を相続した。知行高7000石。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いには、輝政の命で幼少の長貞に代わって、家老の石黒武左衛門が陣代となって森寺家の家臣を率いて出陣している。慶長11年(1606年)8月2日没。享年19。正室(森寺忠勝の娘)は旗本能勢頼隆に再嫁した。実弟の長政が養子入りして家督を継ぎ、後に池田氏に改姓した。代々岡山藩の家老を務め備前建部1万4000石を領したため、建部池田家とも森寺池田家とも呼ばれ、明治39年(1906年)9月17日に男爵となった。
== 参考文献 ==

* 『池田老臣累記』
* 『備前家老略伝』



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「森寺長貞」の詳細全文を読む




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