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森山 栄之助(もりやま えいのすけ、または森山多吉郎、文政3年6月1日(1820年7月10日) - 明治4年3月15日(1871年5月4日))は、江戸時代に活躍した日本の通詞(通訳)。 == 生涯・人物 == 文政3年(1820年)、長崎に生まれる。家は代々オランダ通詞を務めていた。英語が話せたことから、嘉永元年(1848年)、偽装漂着のアメリカ捕鯨船船員のラナルド・マクドナルドの取り調べに当たり〔of Ranald McDonald regarding his imprisonment in Japan, made to Captain James Glynn, USS Preble(マクドナルド口述書) United States. Navy, Washington, D.C.: G.P.O., 1850〕、英語のネイティブスピーカーであるマクドナルドから本格的に英語を学び、蘭・英2カ国語を使いこなせる通詞として活躍する。嘉永3年(1850年)には「エゲレス語和解」の編集に従事し、嘉永6年(1853年)のプチャーチン来航の際は川路聖謨の通詞として活躍する。また、オランダの地図に樺太の日露国境が北緯50度線となっていることを発見する。これが、日本の対露国境の根拠となる。 嘉永7年(1854年)のマシュー・ペリー来航の際も通訳を務め、その後江戸小石川に英語塾を開く。文久2年(1862年)には開港延期問題で渡欧した竹内保徳遣欧使節団の通訳としてオールコックと同船でイギリスに赴き、使節一行とロンドンで合流する。その後、各国を巡り帰国。帰国後は通弁役頭取、外国奉行支配調役などを歴任すると共に、万延元年(1860年)の大統領への英文書の作成にも活躍する。しかし、維新後は新政府に仕えることはなかった。 なお、彼の英語塾の門下生には津田仙、福地源一郎、沼間守一、須藤時一郎、富永冬樹などがいる。また福澤諭吉も短期間ではあったが学んでいる。墓所は東京都豊島区巣鴨五丁目の本妙寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森山栄之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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