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森山諭(もりやま さとし、1908年2月14日 - 1996年7月22日)は、日本の牧師、伝道者、日本イエス・キリスト教団顧問。中田羽後と共に荻窪栄光教会を創設した。 再臨待望同志会東京大会実行委員長、日本ケズィック・コンベンション財務委員、日韓親善宣教協力会会長、ビリー・グラハム国際大会財務委員長などを歴任した。 == 生涯 == *1908年2月14日 福島県耶麻郡塩川町下遠田において父幸七、母イチの長男として生まれる。幼い時より「生とは何か、死とは何か」「なぜ男と女とがあるのか」を問う少年だったという。 *1926年 福島県立農林学校に入学後、極度のノイローゼにとりつかれ、線路に飛び込みする寸前に、劇的な回心を経験する。突然「己を捨て、己が十字架を負いて我に従え」という、聖書の言葉を思い出したという。 *1928年 サチ夫人と結婚(2男5女をもうける) 長女と次男は幼少時に死亡 *1937年8月 奥磐梯の桧原湖で御牧碩太郎より洗礼を受ける。 *1937年7月 月刊誌『待望』を発刊。 *1941年12月 月刊誌『待望』に非戦論を掲載したため『待望』は発禁処分。 *戦中戦後通して日本全国で精力的な巡回伝道活動を行う。 *1951年7月 日本イエス・キリスト教団創立に参加、同時に按手礼を受け待望教会の牧師となる。 *1958年4月 駒込に日本イエス・キリスト教団東京教会を設立。 *1960年 中田羽後と出会い、荻窪栄光教会設立。 *1966年 異教問題に取り組む(特に統一協会の問題に真剣に取り組む)。 *1979年 森川の教会に監禁し、脱会説得をしていた統一教会信者を、東京都東久留米市の久留米ヶ丘病院に移送し監禁(医療保護入院)させる(久留米ヶ丘病院事件)。 *1980年 東京高等裁判所、久留米ヶ丘病院に医療保護入院させられていた統一教会信者が不当な人身拘束にあっており釈放するよう判決。(昭和55年(人ナ)第1号) *1991年日本福音振興会より、福音宣教への功績が認められ、第1回日本福音功労賞の表彰を受けた。小島伊助、鈴木留蔵らも同時に表彰を受けた。〔石井忠雄『実を結ぶ人生』P.58〕 *1996年7月22日 沈下性肺炎で死去。88歳と5ヶ月だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森山諭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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