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森 岩雄(もり いわお、1899年2月27日 - 1979年5月14日)は、日本の映画プロデューサー、脚本家、映画評論家。 == 来歴 == 神奈川県横浜市出身。成蹊実業専門学校に学び、活動写真に興味を持ち、東京日日新聞が募集した子供のための映画シナリオに入選後、『キネマ旬報』に「第八芸術貧燈録」という映画批評を書いた記事を連載、新進気鋭の評論家として知られるようになった。 1923年、日本映画俳優学校の主事兼講師に着任、教え子には脚本家の八木保太郎はじめ、俳優の小杉勇、島耕二(のちに2人とも映画監督に転身)、岸井明などがいた。 その後、映画製作にも乗り出し、文才を生かして脚本家として活躍、前途を嘱目されたが、中央映画社同人、日活映画企画部員を歴任し、製作会社のブレーンとしてその才覚を見込まれて、1932年、P.C.L.映画製作所の創立に参加し、同時に取締役に就任。のちにJ.O.スタヂオと合併して、1937年、東宝映画として新たにスタートを切ると、戦後、公職追放に追い込まれるまで、常務取締役として指揮をとった。 追放後は三和銀行の取締役を務め、1951年、顧問として東宝に復帰、翌1952年、取締役製作本部長として第一線に返り咲き、東宝映画の総指揮官として戦後の日本映画黄金時代を支えた。 1955年、製作本部長のポストを藤本真澄に譲る。1957年に専務取締役、1962年に副社長に就任。映画部門を藤本真澄、演劇部門を菊田一夫に任せて、日本の映画界、演劇界に絶大な影響力を及ぼす。1974年に代表取締役相談役に就任、1976年に相談役に退く。 1962年に紫綬褒章、1969年に勲三等旭日中綬章をそれぞれ受章。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森岩雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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