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森川 俊知(もりかわ としとも)は、下総生実藩の第8代藩主。江戸幕府の若年寄である。 == 生涯 == 安永8年(1779年)3月8日、第6代藩主・森川俊令の次男で、第7代藩主・森川俊孝の弟である森川俊輝の長男として、外祖父の森川俊顕の屋敷で生まれる。天明8年(1788年)に俊孝の実子である俊盛と俊孝が相次いで死去したため、俊孝の末期養子として家督を継いだ。 寛政8年(1796年)12月19日に従五位下・兵部少輔に叙位・任官する。寛政10年(1798年)4月3日に日光祭祀奉行に任じられ、文化3年(1806年)11月8日に大番頭に任じられた。その後も大坂城番・二条城番などを務め、文化13年(1816年)12月26日に奏者番に任じられ、文政5年(1822年)8月15日には西の丸若年寄に任じられた。その後は幕政に参与し、第12代将軍・徳川家慶の五男・一橋慶昌の養子縁組交渉や、第11代将軍・徳川家斉の娘の婚儀の交渉・庶務などをまとめ上げた。そのために家斉や家慶からは信任が厚く、後に俊知が若年寄の辞職を求めても許されなかった。 天保9年(1838年)8月9日に死去した。享年60。 初め俊一を養子としていたが早世。次に養子にした俊民が家督を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森川俊知」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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