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森川 美穂(もりかわ みほ、1968年5月5日〔森川美穂のプロフィール|Ameba (アメーバ) 〕 - )は、日本の歌手、女優。本名は榎並 美穂(えなみ みほ)。大阪府出身。日出女子学園高校卒業。所属事務所はヤマハ音楽振興会→とらねこ→オフィスとんで→KT plus Entertainment。現在大阪芸術大学准教授(所属は演奏学科で、「ヴォーカル実技」などを担当〔大阪芸術大学演奏学科教員紹介 (2016年2月24日確認)〕)。身長163cm。 == 来歴 == 魚屋を営む家に生まれる。家族は、両親、兄、弟。 小学校時代から気が強い性格で、女の子と遊ぶより男の子と活発に遊ぶことを好んだ。一方で、梓みちよ、八神純子、岩崎宏美、大橋純子、沢田研二などの個性的で実力派といわれた歌手に憧れていた。ヘアブラシをマイク代わりにして歌の練習をしていたという。この頃、地域で開催されたのど自慢大会やテレビ番組の子供向けの歌のコンテストに出場し、数々の入賞を果たしている。 中学に入学したころから本格的に歌手になることを決意。早速行動を起こし、渡辺プロダクションの東京音楽学院大阪校に通い、ボイストレーニングを受けるようになる。早い段階から元来の才能が芽吹き、磨きがかかり実力と自信をつけていった。歌唱力に加え、容姿も良かったため、渡辺プロダクションから正式に事務所に所属し、アイドル歌手としてデビューするよう打診があった。しかし、まだ中学生であったため、心配した実父の大反対によりデビュー話は一旦差し戻されてお蔵入りに(著書:1990年出版「テーブル越しの好奇心」記載のエピソードから)。 諦めきれなかった森川は、1981年(昭和56年)、ヤマハボーカルオーディションを受け、大阪地区代表に選出される。最終結果は不合格だったが、ヤマハのスタッフに別途スカウトされ、改めてヤマハでボイストレーニングを開始する。 1983年(昭和58年)、本名:榎並美穂で、オリジナル曲「ハネムーンサラダ」で第26回ヤマハ・ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に近畿地区代表で出場。その時、同じ地区代表に選ばれたのが、グランプリを獲得した辛島美登里だった。辛島曰く「美穂ちゃんは当時中学生なのに歌手になる信念がしっかりしていた。しかもちょっと気が強い子で可愛かった」と語っている。 1983年(昭和58年)、ヤマハボーカルオーディション「ザ・デビュー」(現「MUSIC REVOLUTION」)にて約1万人の中からグランプリを受賞。これがきっかけで、ヤマハ音楽振興会に所属。レーベルはVapレコード。歌手デビュー前に、第1回ヤマハヴォーカルオーディション「ザ・デビュー」グランプリの小林千絵主演ミュージカル『小公女セーラ』に出演している。 1985年(昭和60年)7月21日、シングル「教室」で、アイドル歌手としてデビュー。キャッチコピーは「多感世代のヴォーカルヒロイン」。セールス的には大きなインパクトはなかったが、高校中退というテーマと新人アイドルらしからぬその歌唱力は業界内外に少なからぬ衝撃をもたらした。 芸名の姓“森川”は、母親の旧姓にちなむ。 Vapレコードの一押しアイドル歌手で、ザ・トップテンの今週の話題曲として紹介された。 番組内で当時同じレコード会社だった先輩アイドル歌手・菊池桃子の妹分として紹介され共演を果たした。本人はポスト菊池桃子的なレコード会社の売り方が嫌で、同世代の渡辺美里、小比類巻かほる、中村あゆみのような音楽性を希望していた。 同期には本田美奈子、中山美穂、南野陽子、浅香唯など。のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。 デビューから間もなく、東海ラジオで『森川美穂の青春放送局』がスタート。東海地方の深夜枠では欠かせない存在となり、森川組(しんせんぐみ)というリスナー組織も結成。定期的にイベントなども行い、ファン層が拡大していく(1991年に森川組は解散)。 1986年(昭和61年)、自殺をコンセプトに置いたシングル「赤い涙」、本人出演 MAXコーヒーCMソング、シングル「サーフサイド・ブリーズ〜真夏の風」、ミノルタカメラ『AFテレ』CMソングシングル「姫様ズーム・イン」を発売。 ファーストアルバム『多感世代』発売。ファーストアルバム発売を記念して、ファーストコンサートツアー「多感世代」を8/21東京・渋谷エピキュラス、8/27大阪・ヤマハなんばセンターで行う。 1987年(昭和62年)、飛鳥涼作詞作曲のシングル「おんなになあれ」、シングル「PRIDE」がヒット。 「おんなになあれ」では、HER-Bestの歌詞カードの中に当時のエピソードして飛鳥涼が「制服を脱いで1人のおんなとして恋をしたら美穂はどんな恋をするんだろう…と思ってこの歌を作ったんだよ」と披露している。 この2曲を機にロックを基調としたアーティスト路線に変更し、この頃には「学園祭の女王」と呼ばれるようになる。 初ホールコンサートツアー「おんなになあれ・夏」を8/28大阪・大阪厚生年金会館、8/31東京・日本青年館で行う。 1988年(昭和63年)、ベルエクラCMソングシングル「Be Free」、ミノルタカメラCMソングシングル「わかりあいたい」、シングル「Real Mind」を発売。また、市川猿之助演出モーツァルトオペラミュージカル『イダマンテ』で、ヒロイン(近藤真彦の相手役)に選ばれ出演。「NUDE VOICE」LIVEツアーを1/6東京・日本青年館、1/7大阪厚生年金会館中ホール、1/8愛知県勤労会館、1/20横浜関内ホールで行う。「VERSION C」LIVEツアーを7/20大阪厚生年金会館、7/22愛知県勤労会館、7/28渋谷公会堂で行う。 1989年(平成元年)、ミノルタカメラCMソングシングル「チャンス」を発売。同年8月にベストアルバム『Time-ize』を発売。またライブツアーは、CONCERT TOUR '89 How Are You?を全国15ヶ所。サマーコンサート、クリスマスコンサートツアーを全国3ヶ所で行う。 1990年(平成2年)、NHKのアニメ『ふしぎの海のナディア』の主題歌を発売するため、東芝EMIに移籍した(本人が雑誌で公言)。 移籍と同時に、それまで所属していたレコード会社・VAPから発売されていたシングル・アルバムが全て廃盤となり、中古CD店では森川のVAP時代のアルバムに1枚1万円以上というプレミアが付いた時期もあった。 廃盤になった理由は、原盤権をヤマハ音楽振興会が持っており、VAPとは原盤供給契約だったためである。VAPとの契約が終了=原盤供給契約も終了であり、VAPは音源の発売の権利を失い、廃盤せざるをえなかった。 廃盤となったVAP時代のアルバムは、その後、ヤマハ音楽振興会が東芝EMIに原盤供給を行ったことにより、ボーナストラックとしてアルバム未収録曲も加えて再発された(現在は廃盤)。 東芝EMIに移籍しての第1弾シングル「ブルーウォーター」(「ふしぎの海のナディア」主題歌)がヒット。 さらに「声心・声力 ヴォーカル主義」で売り出しを賭けた移籍第1弾アルバムジョー・リノイエサウンドプロデュースの『Vocalization』がオリコンのウィークリーチャートで最高位4位を記録する。黒人ダンサーを引き連れての『'90 VOCALIZATION』全国コンサートツアーを開催。最終日のNHKホールでのライブ模様はのちに『MIHO MORIKAWA SHOW』ビデオ発売され、2007年(平成19年)にDVDでも発売された。これは彼女唯一の市販ライブ映像である。 その後GiRLPOPで人気の代表格となり、沢田知可子、井上昌己、かとうれいこ、峠恵子らと親交を深めていく。 1991年(平成3年)、ロサンゼルスにてレコーディングのアルバム『POP THE TOP!』がオリコンウィークリーチャート4位を記録。前作に続くヒット。全国コンサートツアーも大成功に終わった。また、ABCラジオ『ミュージックパラダイス』の水曜日枠でパーソナリティーを務め、喋れるヴォーカリストとしての頭角を現す。 1992年(平成4年)、ブルボンピックルEXのCMソングとなる「翼にかえて」をリリース。本人もCMに出演。『夢がMORI MORI』のキックベースに出演。小・中学校時代のソフトボール経験を生かした活躍は有名となり、番組内では“スーパーキックベースシンガー”という異名をとった。また「夢MORI」コンサートにも2年連続で出演する。 TBSラジオでは『今夜もフリースタイル』がスタート。全国ネットでパーソナリティを務める。 1993年(平成5年)、セルフカバーとなるアルバム『a holiday』をリリース。服部隆之らが参加し、アコースティックアレンジとなった「おんなになあれ」等7曲が収録された。 1994年(平成6年)、ロック調のシングル「傷痕」、『夢がMORI MORI』オープニング曲「恋してれば大丈夫」、アルバム『情熱の瞳』をリリース。アルバム『情熱の瞳』は佐藤準サウンドプロデュースの作品。 1995年(平成7年)、『あっ!森川だ』で東海ラジオに復帰し、音楽面では、当時流行りの打ち込み系のダンスミュージックサウンドの「素直に笑えない」、「CLOSE your EYES」をリリースする。 1996年(平成8年)、当時廃盤であったVAPレコードの音源を集めたベストアルバム『HER-BEST』を発売。新たに本人が以前からやりたかったジャンルであるラテンの作品、シングル「99Generation」「DOMINO」、アルバム『ソリスタ』などを発表した。彼女はバーシア、グロリア・エステファンなどのラテン女性シンガーに音楽面で強く影響を受けた。 1997年(平成9年)、1998年(平成10年)、J-POP界は女性R&Bボーカリスト人気ブームにより(MISIAや小柳ゆきや宇多田ヒカルなど)彼女も、シングル「それでもみんな生きている」「Soul Generation」、アルバム『tasty』など、R&B路線の曲を発表する。セールス的には急降下する。 ブロードウェイミュージカル日本版RENTにモーリン役で出演した。 1999年(平成11年)、NHK音楽番組青春のポップスでアレサ・フランクリンのヒットナンバー、「(You Make Me Feel Like A) Natural Woman」を歌唱しているところを、たまたまみていた映画『007』シリーズ第19作『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』のプロデューサーから強い出演オファーがあり出演を果たす。 音楽では、バラードのシングル「Happiness」を発表。 プライベートでは、ミュージカル「RENT」で共演したエンジェル役のKOHJIROと結婚。 2000年(平成12年)、LOST&FOUNDというボーカルプロジェクトでシングル、アルバムを発売。しかし、更にセールスは低迷し、この作品を最後に東芝EMIを離れる。8月、男児を出産。 2001年(平成13年)、所属事務所ヤマハよりシングル(「秋田ワールドゲームズ2001」イメージ曲)「風になれ〜Like A Wind〜」を発売する。彼女にとってはじめてのマキシシングルの発売にもなった。コーラスはKOHJIROだった。 2002年(平成14年)、2003年(平成15年)、夏に発売予定だったミニアルバムがお蔵入りになり、16年近く在籍したヤマハ音楽振興会を辞めている。プライベートではKOHJIROと離婚。 2004年(平成16年)、事務所を「とらねこ」に移籍。この時期、劇団四季のミュージカル「アイーダ」のキャストオーディションを受け、約5千人の難関からアムネリス役を見事獲得し、出演を果たす。 2005年(平成17年)、ヤマハ時代に繋がりのあった円広志の事務所・オフィスとんでに移籍する。 2006年(平成18年)、歌手活動20周年記念ライブを大阪・そごう劇場で開催。即日チケットは完売し、YAHOOオークションでもプレミアがついた。10月には東京渋谷DUO -Music Exchange-にて東京公演も行なわれ、こちらも即日チケットが完売した。同期の芳本美代子、井森美幸も会場に駆けつけた。 2007年(平成19年)2月、ティームエンタテインメントよりヒット曲「ブルーウォーター」のセルフカバー「ブルーウォーター(21st century ver.)」を発売。3月にはvivid soundよりVAP時代の全シングル曲A・B面を収録したCD「Vap Single Collection」を発売。 この春、シンガー・麻倉あきらとのユニット名を公募し、DIVA×DIVA(ディーバディーバ)に決定。夏、TV東京系アニメ「史上最強の弟子ケンイチ」のオープニングテーマ曲「ヤッホー」をジェネオンエンタテインメントにて発売。現在このCDは廃盤となりオークションなどでプレミアがついている。 2008年(平成20年)5月、自身の公式ホームページにて、所属事務所オフィスとんでを離脱することを発表。新たに、KT plus Entertainmentと業務提携契約を結ぶ。12月、天王洲アイル銀河劇場にてミュージカル「GIFT」に主演。 2009年(平成21年)4月、STB139スイートベイジルでLIVE。。チケット即日完売。12月、東京會舘にて初ディナーショーを開催した。 2010年(平成22年)10月、デビュー25周年記念コンサートツアー「森川伝 ―美穂船じゃー!!―」を 東京と大阪にて開催。東京公演のチケットは即完売した。デビュー25周年記念アルバム「glad」を10月20日に発売。12月24日に25周年記念コンサートツアーの模様も一部収録した「ガン見してんじゃねぇ!」を発売。 2011年(平成23年)5月、本人の誕生日の5月5日を記念して「Miho Morikawa2011 LIVE〜Birthday Party〜 森川美穂生誕祭」を大阪ロイヤルホースにて開催。昼の部と夜の部の2回公演だったが共にチケットが完売した。このLIVE映像はDVDで「Miho Morikawa2011 LIVE〜Birthday Party〜」(2枚組)として6月3日に発売。11月13日にライブ「もいちど、綿棒投げたいですか?!」をMt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて開催。また、チケットも完売した。 2012年(平成24年)7月東名阪でライブツアー「森川美穂夏祭り〜森川魂!!〜」を開催(7月22日・梅田クラブクアトロ、28日・マウントレーニアホール渋谷プレジャープレジャー、29日・名古屋クラブクアトロ)。 各公演ごとにMCもすべて収録した「お持ち帰りライブCD-R」を慣行。ホイホイレコードより発売される 7月18日、シングル「Eternal Castle」がiTunes Store、レコチョク、mu-moやdwangoなどで配信された 2013年(平成25年)5月、バースデーライブ「Birthday Songきかせて」5月18日・東京下北沢GARDEN、19日・名古屋MUSICA、26日・大阪大阪 Club Vijon(同公演においては「お持ち帰りライブCD-R」を発売 / ホイホイレコード)の東名阪で開催。同時にファンクラブが再結成。「美穂屋」とファンクラブ名が決定した。 8月、「森川美穂2013コンサート TOKYO Summer × Autumn 森川魂Season2 今年はふたつの物語 endless夏/episode秋」を8月11日マウントレーニアホール渋谷プレジャープレジャーにて開催。 12月、ミュージカル「心に響く音楽劇 GIFTをあなたに」主演を果たす。 2014年(平成26年)8月23日、サマーディナーライブ「MADE in MORIKAWA 30th anniversary of the people of all.And the future アコースティックSummer 2014」を東京原宿 La Donnaにて開催。ランチの部、ディナーの部即完売。大盛況の上終わった。 2015年(平成27年)4月26日、70年代の楽曲カバーライブを東京赤坂NovemberEleventh1111part2で開催。昼の部、夜の部即完売。 デビュー30anniversaryコンサート「IT CONTINUES BEING MIHO MORIKAWA」を7月19日・新神戸オリエンタル劇場、7月26日・東京Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて開催。 2016年(平成28年)ミュージシャンの小林信吾をピアニストに迎え、ピアノ一本によるライブ「私が愛したLove song」を4月23日大阪Mister Kelly’s(昼・夜)、4月30日東京目黒BLUES ALLEY JAPAN(昼・夜)にて開催。3月、自身のブログで所属事務所KTplusEntertainmentを3月末日で退社することを発表。 現在は大阪を基盤に活動中。大学設置基準第15条第5号規定に基づき、歌手のキャリアが認められ、大阪芸術大学演奏学科の准教授として後進の指導にもあたる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森川美穂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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