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森 有一(もり ゆういち、1898年4月13日 - 1984年10月30日)は、岐阜県出身の日本画家・俳人。新しき村会員。 1898年(明治31年)4月13日、岐阜県武儀郡南武芸村(現在の関市)に生まれた。南武芸村博愛小学校を卒業後、岐阜商業へ入学。在学中、罹病して県立病院に入院。大正11年、山口卯三郎の長女嘉名江と結婚した後、1926年(大正15年)、名古屋市に移り、靴下製造業を営む。第二次世界大戦で被災し、1945年(昭和20年)に岐阜県武儀郡美濃町(現在の美濃市)に戻った。 若い頃から日本画に親しんでおり、1947年(昭和22年)から武者小路実篤に弟子入り。若くして武者小路実篤の新しき村会員となり、戦後、50歳にして実篤に師事して画筆を執り、異色日本画家としてその名を世に知られた。1958年(昭和33年)には名古屋市で最初の個展を開いた。 また俳人としては種田山頭火と親交があり、自由律俳句をよくした。山頭火は何度も有一宅を訪問。その際、有一宅で詠んだ山頭火の作句 :''いちぢく若葉となりふたゝび逢へたよろこび 家内むつまじくばらの蕾に傘さしかけてある'' 1975年(昭和50年)12月には句集『山川句集』(樹下文庫)を発表した。 1984年(昭和59年)10月30日没。美濃市に於いて。享年86。 ==代表作== ;俳句 *『リンゴ』1932年(昭和7年)9月 *『いも』1950年(昭和25年)1月 *『山川』1971年(昭和46年)6月 ;随筆 *『いもごころ』1949年(昭和24年)12月 *『衣』1950年(昭和25年)1月 *『線』1950年(昭和25年)2月 *『坦々とした道路』1950年(昭和25年)8月 *『雑感』1950年(昭和25年)9月 *『雑木紅葉』1951年(昭和26年)12月 *『蓑虫』1952年(昭和27年)6月 *『妙』1952年(昭和27年)7月 *『蛙』1952年(昭和27年)10月 *『古城山』1953年(昭和28年)2月 *『いも堀』1953年(昭和28年)12月 *『里芋』1953年(昭和28年)12月 *『青山』1954年(昭和29年)3月 など。 *森有一遺句文集『行雲流水』1988年(昭和63年)8月13日発行 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森有一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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