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森本治吉 : ミニ英和和英辞書
森本治吉[もりもと じきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

森本治吉 : ウィキペディア日本語版
森本治吉[もりもと じきち]
森本 治吉(もりもと じきち、1900年1月10日 - 1977年1月12日)は歌人国文学者文学博士二松学舎大学名誉教授。歌人の槇弥生子は子の妻。歌人の森本平は孫。
== 人物 ==
1900年(明治33年)、熊本県熊本市新町に生まれる。1920年(大正9年)、第五高等学校在学中に短歌雑誌「白路」を創刊、この年「アララギ」に入会。「白路」の名は当時第五高等学校の教授であった高木市之助の命名という。1923年(大正12年)、東京大学文科へ進学し、佐佐木信綱久松潜一、高木市之助に学ぶ。1946年(昭和21年)「白路」を復刊し社主となる。1929年(昭和4年)二松學舎専門学校教授となり、以後、日本大学東京女子大学日本体育大学駒澤大学中央大学国士舘大学などで教鞭をとり、1973年(昭和47年)二松學舍大学名誉教授となる。
1952年(昭和27年)上代文学会創設委員として尽力、設立後常任理事として事務局を担当。1958年(昭和33)より理事長。他に、日本風土学会理事、日本歌人クラブ理事など。万葉集の専門的研究及び万葉集の普及活動、歌作及び作歌指導活動に尽力した。編著書は多数に及ぶが、第一編著は1932年(昭和7年)『作者類別年代順万葉集』(澤瀉久孝共著)、1941年(昭和16)には半架空自叙伝である『万葉に生くる者』が出ている。第一歌集は1951(昭和26)『晩鐘』。以後生前のものに『耳』『伊豆とみちのく』がある。代表的な万葉研究書に『万葉集の芸術性』『万葉精粋の鑑賞』『人麿の世界』『高橋蟲麻呂』などがある。『万葉集総索引』は、自分の仕事だったと、『国語国文学研究史大成 万葉集』に森本本人が記している。
1977年(昭和52)1月12日、脳軟化症のため東京都杉並区の病院にて死去。。戒名は「積学院治徳寿光居士」。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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