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森本達幸(もりもとたつゆき、1934年11月6日-)は、日本の高校野球指導者。47年間(連続)、奈良県立郡山高等学校の野球部監督を務めたことで知られる。現役時代は投手。左利き。 == 来歴 == 1934年、大阪市に生まれ奈良県大和郡山市に育った森本は、1950年に地元の奈良県立郡山高等学校に入学してすぐ、頭角を現し1年生ながらエースとなる。1年の夏は奈良県大会を制したが、紀和大会で新宮に1-2で敗れ、甲子園出場はならなかった。1952年3年の夏、奈良県大会を4試合完封して制したが、紀和大会でまたしても新宮に0-1で敗れ、結局在学中は甲子園に縁がなかった。その後、関西大学に進み、在学中は上田利治とバッテリーを組んだ。大学卒業後は京都大丸でプレーした〔甲子園高校野球人名事典301P、森岡浩、東京堂出版、2004年、ISBN 978-4490106503〕。 1963年、母校の監督に招聘され就任。そこから2009年夏まで、本業のバッティングセンターの経営の傍ら47年監督を務めることになる。この間には、大和郡山市の助役も務めている。就任4年目の1966年夏、郡山を33年ぶり2回目の選手権大会出場に導き、自身監督として甲子園初勝利を上げる。1971年には春夏連続出場を果たし、春は初戦敗退であったが、夏の第53回全国高等学校野球選手権大会では、初戦で前年準優勝の行沢久隆擁するPL学園を8-3と圧倒して勝利。準決勝まで進出するも、田村隆寿を擁する磐城に敗れた。1974年の第56回全国高等学校野球選手権大会でもベスト8に入り、以後奈良県内で天理、智弁学園とともに3強時代を築き、1978年春、1982年春、1998年春にもベスト8入りした〔報知高校野球2008年7月号100P〕。2000年夏の出場以来、甲子園から遠ざかり、2009年夏の奈良県予選敗退を以て、47年間の監督生活に終止符を打った。郡山の監督として、春夏11回(春6回、夏5回)出場し、11勝11敗。2011年4月からは大阪桐蔭高等学校野球部の総監督に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森本達幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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