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森浦湾くじらの海(もりうらわんくじらのうみ)とは、和歌山県東牟婁郡太地町の森浦湾(もりうらわん)に2017年に開設が予定されるクジラのテーマパーク(観光牧場、サファリパーク)の構想である。「森浦湾鯨の海」と表記されたり、「クジラ牧場」とも呼ばれる。半自然の入り江で、牧場のように、比較的小型の鯨類(ミンククジラ、ゴンドウクジラ、イルカ類)を放し飼いにして、人々が簡単に見れるようにし、また、太地町立くじらの博物館の研究機能を強化する構想である。2004年に公表され、構想全体は30年計画で進められる。この"海の牧場"は、完成すれば世界初とされる。 == 背景 == 国際捕鯨委員会 (IWC) による商業捕鯨モラトリアムによって1988年に商業捕鯨が中止となった。その後、伝統的捕鯨地域社会である太地は人類の福祉のため、鯨類を生物資源として持続可能に利用した。その伝統産業としての鯨類の利用により、国際捕鯨委員会の管理対象外の一部の鯨種を対象にした小型捕鯨、いるか漁業の追い込み網漁業と突きん棒漁業が存続した〔。また、商業捕鯨モラトリアムで商業捕鯨が中止になった1988年に、和歌山県社会経済研究所は、「捕鯨基地太地町の再生と国際鯨類研究センター構想」と題する調査研究を実施し、翌1989年に報告書を作成し、国際鯨類研究センターの設置の必要性を提言した〔。太地では「平成の大合併」が盛んに行われた時期にも、太地町の住民は、"鯨の町"としての自負心と誇りとを強く持ち、人口わずか 3,600 人(当時)の1889年(明治22年)から続く小さな町にも関わらず、隣町との合併反対を唱えた三軒一高を町長に選び、町の自治独立を維持する決断をした。町は、その地域のアイデンティティ保持の決断に伴い、長い伝統のある捕鯨文化を尊守する道を選んだ。有権者に強く支持された三軒は、太地町の独自の発展のための長期総合計画を立て、森浦湾くじらの海は計画の中核となった〔大隅2012、11頁〕。 太地町の森浦湾は、手付かずの自然海岸を有する〔。また、湾は三方を山に囲まれている為、悪天候時、熊野灘にあっても波が静かと知られており、帆船時代には太平洋に面した屈指の良港として利用され、悪天候の際の避難港にもなっていた〔蛭子神社(森浦) 和歌山県神社庁 , 2015-8-15閲覧 〕。波が余りたたない平穏さが保てる森浦湾は、昭和の頃は真珠養殖が盛んに行われるほどだった。しかし、自然環境の激変で、真珠産業がふるわなくなり、雇用がしぼんでしまっていた〔21世紀わかやま Vol.40 - 「森浦湾に真珠を求めて―三幸漁業生産組合」 主任研究員:田中嘉治 , 2003.8 , 和歌山社会経済研究所 , 2015-8-15閲覧 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森浦湾くじらの海」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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