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森 浩二(もり こうじ、1962年1月1日 - )は、高知県中村市(現:四万十市)出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 高知商では、2年生時のに、主戦投手として夏の甲子園に出場。決勝戦に駒を進め、PL学園高と対戦する。エース西田真二と投げ合い、2-0とリードして9回裏を迎えたが、優勝を目前にして逆転サヨナラ負けを喫した〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕(逆転のPLも参照)。翌春の選抜は、2回戦で牛島和彦、香川伸行らのいた浪商に惜敗〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏は県予選準々決勝で安芸高に敗退、甲子園には届かなかった。1年下のチームメートに中西清起がいる。 1979年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。には一軍に上がり、翌8月に初勝利、10月には初先発を果たす。貴重な左の中継ぎとして、には自己最多の42試合、にも40試合に登板。いずれもチーム最多であった。しかしその後は故障もあって登板機会が激減、オフに西岡剛との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。は中継ぎとして21試合に登板し、リーグ優勝にも貢献するが、同年限りで現役引退。 2007年までオリックスのアシスタントスタッフ(打撃投手)を務めた後に、オリックスの選手寮「青濤館」の副寮長を務める。その後、2010年8月2日に前任の保谷俊夫の急逝により後任として寮長に就任した。 甲子園を沸かせた左腕もプロでは左のワンポイント要員に終始。1球敗戦投手を2度記録しているのは森だけである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森浩二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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