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森瑶子 : ミニ英和和英辞書
森瑶子[もり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

森瑶子 ( リダイレクト:森瑤子 ) : ウィキペディア日本語版
森瑤子[もり ようこ]
森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7月6日) は、1980年代に活躍した日本小説家。本名、伊藤雅代。静岡県伊東市出身。37歳でデビューしてから52歳で没するまでの短い活動期間に、小説エッセイ翻訳など100冊を超える著作を生んだ。作品は20回以上テレビドラマ化されている。
== 経歴 ==

*伊藤三男、喜美枝の長女として静岡県伊東市に生まれる。本名、伊藤雅代。弟1人、妹1人。
*1941年(昭和16年) 1歳 父の仕事の関係で、4歳まで中国の張家口に暮らし、終戦直前1945年3月に日本に戻る。
*1946年(昭和21年) 6歳 父のすすめでヴァイオリンを学び始める。
*1947年(昭和22年) 7歳 祐天寺より下北沢に転居。小学生時代、世界文学全集に親しむ。
*1949年(昭和24年) 9歳 この年より1965年まで、母親はアメリカドイツカンボジアなど世界各国からの留学生を自宅に受け入れた。
*1959年(昭和34年) 19歳 東京藝術大学器楽科入学。フランソワーズ・サガンジャン=ポール・サルトルアルベール・カミュなどフランス文学に傾倒。ほとんどヴァイオリンへの興味を失い、詩人、画家など、異分野の人々と交流。
*1963年(昭和38年) 23歳 東京藝術大学卒業後は、広告代理店に勤める。イギリスを出発後、最終目的地のオーストラリアを目指して43力国を旅し、途中の日本に立ち寄ったチェシャー出身の英国人アイヴァン・ブラッキンと、夏知り合い、婚約。
*1964年(昭和39年) 24歳 婚約から6カ月後の1月、結婚。東池袋のアパートで、新婚生活をスタート。夫婦共稼ぎを続けながら、田園調布に転居。
*1967年(昭和42年) 27歳 9月、長女ヘザー誕生。朝日広告社を退社。フリーのコピーライターに。子育てのため、三浦半島突端の諸磯の家を借り、専業主婦。その後、次女マリア、三女ナオミ・ジェーン誕生、3女の母となる。
*1973年(昭和48年) 33歳 長女ヘザーのインターナショナル小学校入学のため、六本木に夫のオフィス兼用の家を借りる。この子育ての時期、ロアルド・ダールサキレイ・ブラッドベリなどの海外作品を読みふける。
*1977年(昭和52年) 37歳 夫がいて子供がいて、生活は豊かで幸福だったが、たまらなくひもじく、自分自身に絶望していた時期、池田満寿夫が『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞したのを知り、それに刺激されて『情事』を書く。
*1978年(昭和53年) 38歳 『情事』で第2回すばる文学賞受賞。『すばる』12月号に掲載。
*1979年(昭和54年) 39歳 10月、『すばる』に「誘惑」発表、第82回芥川賞候補となる。夏頃、六本木から下北沢に転居。
*1982年(昭和57年) 42歳 『傷』で、第85回芥川賞候補。
*1983年(昭和58年) 43歳 『熱い風』で、第88回直木賞候補、『風物語』で第89回直木賞候補。9月、初めての書き下ろし作品『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』を講談社より刊行。実際にセラピーにかかりながら内なる発見を文字に変えてゆき、静かなトーンでまとめ、作家としての新境地を切り開く。
*1984年(昭和59年) 44歳 4月より、『SAVVY』にアートディレクター亀海昌次との連載エッセイ「男と女の糸電話」の連載をはじめる(~1991年3月、1986年に『もう一度、オクラホマミクサを踊ろう』、1988年に『六本木サイド・バイ・サイド』、1991年に『おいしいパスタ』として刊行)。
*1985年(昭和60年) 45歳 8月、主婦の友社より、『叫ぶ私』(セラピスト河野貴代美とのセラピーの記録。『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』を書きながらセラピーを受けていた際のテープから、ノンフィクション風のフィクションとしてまとめたもの)刊行。
*1986年(昭和61年) 46歳 5月より、「小説新潮」に「ファミリー・ポートレート」連載(~1988年8月、1988年に新潮社より『ファミリー・レポート』と改題して刊行)。10月、『小説現代』に「浅水湾《リパルスベイ》の月」、11月に「ザ・ロビー」発表(その後、書き下ろしを加えて、1987年に講談社より『浅水湾《リパルスベイ》の月』として刊行)。11月より、『月刊カドカワ』に夫のアイヴァン・ブラッキンとの共著「ラヴ・ストーリー」連載(~1987年10月、1988年に角川書店より『ラヴ・ストーリー』として刊行)。
*1987年(昭和62年) 47歳 カナダの島ノルウェイ・アイランドを購入。夏の避暑先を軽井沢からカナダに変える。11月、『小説すばる』創刊号に「ダブルコンチェルト」発表。それまでエッセイでやっていた男と女の視点の違いという実験を、小説でやってみたもの。作家として、『情事』、『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』に続く、新たな境地に入った作品。
*1989年(平成元年) 49歳 夏、下北沢の自宅新築のため、池田山(東五反田)に転居。与論島にスペイン風の別荘を新築。
*1990年(平成2年) 50歳 夏、下北沢の自宅の新居完成。
*1991年(平成3年) 51歳 3月4日~10月31日、200回にわたり「朝日新聞」夕刊紙上に、一話完結の読み切り形式を採用した「TOKYO発千夜一夜」を掲載(1992年に朝日新聞社から『東京発 千夜一夜』として刊行)。4月、日本橋高島屋4Fに「森瑤子コレクション」(シックな大人の感性を取り入れたギフトショップ)をオープン。
*1992年(平成4年) 52歳 11月、新潮社より『風と共に去りぬ』の続編『スカーレット』(アレクサンドラ・リプリー著、森瑤子訳)刊行。この仕事のために、ほぼ1年、作家としてのほとんどの精力を注ぎ、翻訳としてできる範囲を問いつつ、作家生命を賭けて翻訳した。夏、アトランタスコットランド等『スカーレット』の舞台を取材旅行。旅の途中、数度にわたって胃痛を訴える。『スカーレット』刊行後も、執筆の他、取材、講演会等、多忙をきわめる。
*1993年(平成5年) 年頭より、父・伊藤三男が長年温めていたテーマについて、時代小説「甲比丹《カピタン》」として取り組む。3月上旬に精密検査にて、容易ならざる病状が判明。その後、胃癌であることの告知を受ける。多摩市の病院に転院。治療を続けながら、友人達とのFAXのやりとり、各誌の連載原稿を書く。5月、集英社より『森瑤子自選集』〈全9巻〉の刊行が始まる。6月上旬、容態が急変、覚悟を決めて家族と仕事、葬儀の事など伝え始める。カトリック受洗(テレジア雅代・ブラッキン)。7月6日、52歳で永眠。7月8日、四谷聖イグナチオ教会に於てカトリック葬。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「森瑤子」の詳細全文を読む




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