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森田 拳次(もりた けんじ、1939年5月11日 - )は、日本の男性漫画家。日本漫画家協会に加盟〔森田拳次 日本漫画家協会〕。左利き。 == 経歴 == 東京都出身。少年時代を満州国(現在の中華人民共和国東北部)で過ごし〔プロフィール 森田拳次ホームページ〕、敗戦を奉天(現・瀋陽)で迎える〔朝日新聞(東京本社)2015年2月21日夕刊第11面〕。 岡友彦に師事し、17歳で単行本デビュー後、『丸出だめ夫』『ロボタン』等の児童向けギャグ漫画で人気を博す(#主な漫画作品参照)。31歳のころ〔、星新一による欧米のカートゥーン(一コマ漫画)の選集『進化した猿たち』に感化され、ニューヨーク在住の実弟を頼って渡米し〔『森田拳次のヒトコマランド』(新潮文庫、1983年)pp.8-10〕、雑誌『ルック』等に持ち込み活動を行うかたわら、サム・グロスらと交友を深める〔上掲書、pp.41-43〕。 1971年5月ごろ〔上掲書、pp.193-194に、赤塚不二夫が森田のもとを訪れた記述がある。それを踏まえ、赤塚『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝』(文春文庫、2007年)等で記述されている赤塚の渡米時期から年月を考証した〕、現地での生活のため、元アシスタントらを日本から呼び寄せ、書店を自営する(当時森田が所持していたビザでは勤務による給与所得が許されず、漫画での報酬を含めた自己資本による事業しか自活の方法がなかったという)が、7日で倒産〔上掲書、p.91、p.193〕。まもなく帰国する。 少年漫画、大人向け一コマ漫画を執筆するかたわら、1987年、FECO(Federation of European Cartoonists Organizations、ヨーロッパ漫画家連盟)の会員・山井教雄の誘いを受け「FECO NIPPON(フェコ・ニッポン)」を結成、同団体は後に「JAPUNCH」となる。また、戦時体験を作品でつづる「『私の八月十五日』の会」をちばてつや、さいとうたかをらと結成し、代表幹事となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森田拳次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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