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森田 梧郎(もりた ごろう、1896年2月15日 - 1950年4月13日)は、朝鮮総督府の学務官僚。編修官として国語(日本語)教科書の編纂や、朝鮮における日本語普及政策に携わった。国際経済学者の森田桐郎(元東京大学経済学部教授)は長男。 ==略歴== *1896年:新潟県北蒲原郡乙村(現・胎内市)にて出生 *1915年:新潟県立新発田中学校卒業 *1918年:朝鮮公立小学校訓導に任じられ、釜山第二尋常小学校に赴任する。 *1920年:金海公立尋常高等小学校訓導に転任後、同年中に京城櫻井公立尋常小学校訓導に異動。 *1930年:京城帝国大学法文学部国語学国文学専攻の選科に入学。指導教官は高木市之助。卒業論文は「仮名手本忠臣蔵の研究」〔『青丘学叢』4、1931年5月、186頁。〕 *1931年:同上選科修了。本科に進学とともに朝鮮総督府学務局編輯課の嘱託に採用され、以後、国語教科書の編集に従事する。 *1934年:学士試験合格に伴い京城帝国大学法文学部の文学科を卒業(3月)。 *1935年:朝鮮総督府編修書記に任ぜられ、学務局編輯課への勤務を命ぜられる。 *1937年:8月2日付けで朝鮮総督府編修官に任ぜられ、高等官七等に叙せられる。 *1939年:12月28日付けで高等官六等に陞叙。 *1942年:6月30日付けで高等官五等に陞叙。 *1945年:3月31日付けで高等官四等に陞叙。4月18日付けで昭和20年勅令63号により京城府在勤を命ぜられる。年末までに故郷の新発田へ引き揚げ。 *1950年:同地にて逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森田梧郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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