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森田浩司(もりた こうじ、1968年9月27日 - )は、愛知県出身のミュージシャンである。 == 来歴 == CBSソニー主催のSDオーディションに合格し、1990年10月21日に同レコード会社からシングル「CHEEK TIME TOMORROW」でデビューした(プロデュースは鳥山雄司)。11月21日にはファーストアルバム「ARTY」をリリース。ソウルテイストの強いサウンドが音楽業界内で高い評価を受ける。 1991年4月、ソニーのカセットテープの新レーベル「X」のイメージキャラクターとしてCMに出演、キャンペーンソング「愛のX」を歌う(楽曲はベートーベンピアノソナタ第8番『悲愴』に日本語詞を乗せたものだった)。4月に集中スポット放映され、歌う森田をアップで映したインパクトの強い映像に問い合わせが殺到するが、制作部間の連携がうまくとれず、シングル「愛のX」がリリースされたのはCM終了2ヶ月後の6月1日であった。結果的にプロモーションとしては失敗となり、同年8月1日にリリースされたセカンドアルバム「Heart Touch」もセールス的に振るわなかった。11月21日にはクリスマスソング「左目にKISS!」をリリース。セールス不振を危惧したプロデューサー・鳥山雄司によりキャッチーな仕上りとなったが、森田の音楽的志向とは外れ、またセールスも向上しなかったため、森田は次作をセルフプロデュースすることを決意する。 1992年3月25日シングル「紺色の時」、4月23日「23KM」をリリース。森田の希望通りセルフプロデュースとなったが、アルバムとしてはまとまりに欠け、森田の独断は製作スタッフとの間にしこりを残す結果となった。今後の活動についてレコード会社と折衝するが決裂、音楽シーンから消え去ることとなる。(以上の経緯からか、ソニーの公式サイトには、SDオーディション出身アーティストの項目に森田は掲載されていない) その後、夜警の仕事やパチンコ店等の職業を転々とするも、やはり音楽への未練は断ち切れず自宅録音で楽曲を制作し、原宿RUIDO(当時)等でライブ活動を再開する。また、同郷のミュージシャン・五島良子と再会、五島のアルバムに編曲・コーラスとして参加する。五島の所属するポリスターのディレクターに評価され、再デビューが決定。1998年3月1日、6年ぶりとなるマキシシングル「fruit(s)~欲望のフルーツ」リリース。作風は以前よりもハードなサウンドになり、歌詞は頽廃的な近代文学の影響を強く受けたものとなっていた。6月1日にはアルバム「饒舌のゆくえ」をリリース。 1999年以降は自作のリリースはないものの、五島のアルバムに参加しつつ、森川美穂や反町隆史らに楽曲提供を行う。 2000年にシンガーソングライター石岡美紀とのユニット「nana」を結成(後にギターの太田貴史が加入)。フラメンコとポップスの融合を目指した「フラメンコ・ポップス」を標榜し、同年11月21日デビューアルバム「PASION DE JAPON」をインディーズよりリリース、野外ライブを中心に活動を行う。また、並行して劇団「海千山千」の劇伴音楽の製作も手がける。 2003年11月、nanaを脱退(なぜかnanaの公式ページからは森田在籍の事実が抹消されている)。 その後は目立った活動は見られないが、2006年に女性シンガー宮川愛への楽曲提供・アレンジャーとして久々にメジャーシーンに復帰している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森田浩司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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