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森田草平 : ミニ英和和英辞書
森田草平[もりた そうへい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [くさ]
 【名詞】 1. grass 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

森田草平 : ウィキペディア日本語版
森田草平[もりた そうへい]

森田 草平(もりた そうへい、1881年明治14年)3月19日 - 1949年昭和24年)12月14日)は、作家翻訳家。本名森田 米松夏目漱石の門下生の一人であるが、特に私生活での不祥事が多かったことから、門下生の中では異色の存在として扱われることが多い。
== 経歴 ==
岐阜県方県郡鷺山村(現・岐阜市)生まれ。攻玉社から日本中学校を経て第四高等学校に入学するが、女学生と恋愛問題を起こして退学処分を受ける。その後第一高等学校に入り直し、1906年(明治39年)に東京帝国大学英文科を卒業。
卒業後、岐阜に帰郷するが夏目漱石の『草枕』に感銘を受け妻子を郷里に置いて上京、漱石の元へ足繁く通う傍ら与謝野鉄幹が主宰する閨秀文学講座で講師を務める。この講座に聴講生として通っていた平塚らいてうと関係を持ち、1908年(明治41年)に栃木県塩原心中未遂事件を起こす。この心中未遂の後始末として、漱石の推薦で翌年小説煤煙』を朝日新聞に連載し、これが彼の文壇デビューとなる。
その後、野上豊一郎の紹介で1920年大正9年)に法政大学教授となる。しかし1934年(昭和9年)に法政大学の学内紛争から野上と対立し、関口存男(後に公職追放)らの右派の革新教授や卒業生と共謀、野上はじめ教授多数(中には漱石門下以来の友人のもいた)を大学から追放したものの、結果翌年に自身も大学を去ることになる。
その後は『吉良家の人々』『細川ガラシヤ夫人』などの歴史小説を著す一方でイプセンドストエフスキーセルバンテスダヌンツィオボッカチオなどの翻訳を手がけた。
最晩年は日本共産党に入党し、話題をまいた。1949年、肝硬変のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)28頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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