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森 耕次郎(もり こうじろう、1895年(明治28年)2月23日 - 1962年(昭和37年)1月28日は、日本の大正から昭和期における経済学者、九州帝国大学教授。滋賀県出身者として最初の経済学博士(博士登録番号64番)。 == 生涯 == 1895年(明治28年)2月23日、滋賀県甲賀郡(現甲賀市)の井村家に生まれる。 京都帝国大学経済学部に1921年(大正10年)入学〔「京都帝国大学一覧 大正9年至大正11年 P347 大正11年入学 井村耕次郎」(京都帝国大学)〕、1922年(大正11年)3月同大学を卒業し〔「京都帝国大学一覧 大正11年至大正12年 P533 経済学士 井村耕次郎」(京都帝国大学)〕、大学院に進み経済原論を専攻する〔「京都帝国大学一覧 大正11年至大正12年 P339 大学院 井村耕次郎」(京都帝国大学)〕。1923年(大正12年)森家の養子となる〔「京都帝国大学一覧 大正12年至大正13年 P379 大学院 森耕二郎」(京都帝国大学)〕。 1922年(大正13年)京都帝国大学講師となり、1925年(大正15年)2月論文「社會政策要論」提出により経済学博士学位を得る〔「学位大系博士録 経済学博士 昭和14年版」(発展社出版部 1939年)〕。1928年(昭和3年)九州帝国大学法文学部助教授となり経済学第六講座を分担する〔「九州帝国大学一覧 昭和4年 P101 法文学部職員 助教授 森耕二郎」(九州帝国大学)〕。1931年(昭和6年)ヨーロッパ・アメリカ合衆国に留学する〔「九州帝国大学一覧 昭和6年 P102 法文学部職員 助教授 在外研究中 森耕二郎」(九州帝国大学)〕。帰国後1933年(明治8年)教授に就任し、引き続き経済学第六講座を担当する〔「九州帝国大学一覧 昭和8年 P102 法文学部職員 教授 森耕二郎」(九州帝国大学)〕。1947年(昭和22年)1月31日、第19代九州帝国大学法文学部長(同年10月九州大学に改称)に就任する〔九州大学法学部 歴代学部長 http://www.law.kyushu-u.ac.jp/organization/dean/doyens.html〕(1949年(昭和24年)4月1日より法文学部は法学部・経済学部・文学部に分割され経済学部長となる)。 1950年(昭和25年)大河内一男を中心に社会政策学会が設立される際、発起人となり7月第一回総会において幹事に就任し、10月第二回総会において「社会政策と賃金」を発表する〔社会政策学会史料集 『社会政策学会年報』第1輯 学会記事・第二回大会 http://www.sssp-online.org/nenpo01kiji.html〕。また、1956年(昭和31年)10月には第14回総会を九州大学にて開催した〔社会政策学会史料集 『社会政策学会年報』第5集 学会記事 第十四回大会 http://www.sssp-online.org/nenpo05kiji.html〕。同時期に早稲田大学の久保田明光と関西学院大学の堀経夫を中心に経済学史学会が1950年(昭和25年)4月創設され発足時会員として同学会にも参加した。 1962年(昭和37年)1月28日、66歳で逝去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森耕二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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