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植木元太郎(うえき もとたろう、1857年9月19日(安政4年8月2日) - 1943年(昭和18年)1月25日)は日本の実業家、政治家。島原鉄道および口之津鉄道(のち島原鉄道に合併)、温泉軽便鉄道(のちの雲仙鉄道)、小浜鉄道(同)を設立し、島原半島内の鉄道網の整備を進め、のち初代島原市長を務めた。号「鉄狂斎」。 == 生涯 == 1857年、肥前国高来郡多比良村(現長崎県雲仙市国見町)で、酒造業を営む植木直平の子として生まれる。 1874年(明治7年)、父の没後家業を継ぐ。1879年(明治12年)頃から副業として山野の開墾や海面埋め立てにより農地を造成しクワや果樹の栽培を手がけ、養蚕製糸業を営む。 1888年(明治21年)、多比良村議会議員に当選。翌年から同村収入役(3期)を務める。1892年(明治25年)、長崎県議会議員に当選、4期務める。 1902年(明治35年)、衆議院議員に当選。政友会に所属し、2期務める。 この間、島原半島への鉄道敷設を企図し、1908年(明治41年)5月5日、島原鉄道株式会社の創立総会を開き同社専務取締役に就任。1911年(明治44年)6月20日の本諫早 - 愛野村(現愛野)間開業を振り出しに2年後の1913年(大正2年)9月24日に諫早 - 島原湊(現南島原)間を開通させた。1914年(大正3年)7月より同社初代取締役社長となる。 さらに島原半島を一周する路線の構想を抱き、口之津鉄道・温泉鉄道・小浜鉄道を創立、それぞれ初代社長となる。 1940年(昭和15年)5月30日、同年4月1日に南高来郡島原町、安中村、杉谷村の3町村の合併により発足した島原市の初代市長に当選した。これに伴い、島原鉄道取締役社長を同年6月11日に一旦辞任している。 1942年(昭和17年)3月11日に島原市長を辞任、同年7月に島原鉄道取締役社長に再任する。 1943年(昭和18年)1月25日死去。享年87(数え年、満85歳没)。勲四等旭日小綬章。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「植木元太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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